太宗が行なったもう1つの政策
太宗が在位中に特徴的な政策を行なっている。それが、「崇儒排仏」だ。文字通り、儒教を崇拝して仏教を排除する政策である。これを行なった理由は2つある。1つは、仏教寺院が政治に介入し過ぎたことにより、国政を乱された高麗のようになりたくなかったからで、もう1つは「人間の序列を認める儒教のほうが、厳しい身分制度に合っている」と太宗が判断していたからだ。現在の韓国で、仏教寺院が市中ではなく山の中腹にあるのは、このときに追われた名残である。
太宗は、王になる前と王になった直後に、大きな問題を起こしている。その反面、朝鮮王朝の基礎作りに邁進するなどの功績を残している。その後、太宗は三男の忠寧に王位を譲り、後見人として王権の行く末を見守って1422年に世を去った。
文=康 大地(コウ ダイチ)
イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった!
イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった! | 韓国時代劇アンニョン
李芳遠(イ・バンウォン)は、朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の五男だった。もともと、李成桂には13人の子供がいたが、そのうち男子は8人だった。最初の夫人は神懿(シンイ)王后である。
〔物語〕イ・バンウォン(李芳遠)の人生!朝鮮王朝の3代王
〔物語〕イ・バンウォン(李芳遠)の人生!朝鮮王朝の3代王 | 朝鮮王朝オッテヨ
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)が盤石な王政を築けたのは、妻の神懿(シンイ)王后から生まれた芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳穀(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)という6人の息子たちの力が本当に大きか...
イ・ソンゲ(李成桂)とイ・バンウォン(李芳遠)!朝鮮王朝を作った親子の確執
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1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼の五男が李芳遠(イ・バンウォン)である。李成桂には8人の息子がいたが、兄弟の中でこの李芳遠の実力が抜きんでていた。
イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇!
イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇! | 朝鮮王朝オッテヨ
1392年に創設された朝鮮王朝の初代王は李成桂(イ・ソンゲ)だが、建国に尽力した最大の功労者は、李成桂の五男の李芳遠(イ・バンウォン)と儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。2人はやがて敵対するようになるのだが……。



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