朝鮮王朝おもしろ人物列伝(3代王・太宗編)

おもしろ人物列伝
スポンサーリンク

第9回 武力で王の座を勝ち取った3代王・太宗

父親である李成桂(イ・ソンゲ/初代王・太祖【テジョ】)の時代に起こった後継者をめぐる骨肉の争い。それを勝ち抜いて3代王となった太宗(テジョン)。彼は、在位中にどのような政策を行なったのか……。

光化門

王の座を勝ち取った芳遠

朝鮮王朝初代王・李成桂の五男として生まれた芳遠(バンウォン)。武力に優れていた芳遠は、李成桂の政敵を次々と排除していった。芳遠自身も「王の後継者には自分が選ばれるに違いない」と思っていた。しかし、李成桂が使命したのは八男の芳碩(バンソク)だった。芳遠は、その決定に怒り、1398年に「第一次王子の乱」を起こして、異母弟と側近の鄭道伝(チョン・ドジョン)を殺害した。




しかし、芳遠はすぐには王にならなかった。後を継いだのは、二男の芳果(バングァ)だが、1400年に四男の芳幹(バンガン)が王位を狙ったことで、「第二次王子の乱」が起こった。その2つの骨肉の争いに勝利した芳遠は、ついに3代王・太宗として即位したのであるが、その裏には、妻である元敬(ウォンギョン)王后の支えがあった。(ページ2に続く)

イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった!

イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった! | 韓国時代劇アンニョン
李芳遠(イ・バンウォン)は、朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の五男だった。もともと、李成桂には13人の子供がいたが、そのうち男子は8人だった。最初の夫人は神懿(シンイ)王后である。

〔物語〕イ・バンウォン(李芳遠)の人生!朝鮮王朝の3代王

〔物語〕イ・バンウォン(李芳遠)の人生!朝鮮王朝の3代王 | 朝鮮王朝オッテヨ
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)が盤石な王政を築けたのは、妻の神懿(シンイ)王后から生まれた芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳穀(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)という6人の息子たちの力が本当に大きか...

イ・ソンゲ(李成桂)とイ・バンウォン(李芳遠)!朝鮮王朝を作った親子の確執

イ・ソンゲ(李成桂)とイ・バンウォン(李芳遠)!朝鮮王朝を作った親子の確執 | 朝鮮王朝オッテヨ
1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼の五男が李芳遠(イ・バンウォン)である。李成桂には8人の息子がいたが、兄弟の中でこの李芳遠の実力が抜きんでていた。

イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇!

イ・バンウォン(李芳遠)とチョン・ドジョン(鄭道伝)をめぐる悲劇! | 朝鮮王朝オッテヨ
1392年に創設された朝鮮王朝の初代王は李成桂(イ・ソンゲ)だが、建国に尽力した最大の功労者は、李成桂の五男の李芳遠(イ・バンウォン)と儒学者の鄭道伝(チョン・ドジョン)であった。2人はやがて敵対するようになるのだが……。

コメント