朝鮮王朝おもしろ人物列伝(張禧嬪編)

時代劇の登場人物
ドラマ『張禧嬪』で主役を演じたキム・ヘス
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重い罪を犯した張禧嬪

張禧嬪は、没落したままで終わるような女性ではなかった。彼女は、仁顕王后に呪いをかけようと呪詛(じゅそ)を行ない、神堂を建てて怪しげな者たちと一緒に祈祷を続けた。王妃に復帰した仁顕王后は病弱で1701年に世を去ったが、その原因が呪詛による呪いなのかはわからない。

その後、淑嬪・崔氏は「張禧嬪が呪詛を行なっていた」と粛宗に話す。その報告を受けた粛宗は激怒して、張禧嬪に死罪を言い渡す。高官たちがどんなに反対しても、王は張禧嬪の死罪を取り消さなかった。

張禧嬪は、死ぬ前に息子に会いたいと願い出た。王である粛宗は、親子の対面を許したが、張禧嬪は何を思ったのか昀の下腹部をおもいっきり握って、涙の別れを予想していた人たちを驚かせた。昀はあまりの痛さに気を失ってしまう。そして、張禧嬪は42歳で世を去った。

それから19年後の1720年に粛宗が世を去ったことで、張禧嬪の息子の昀が20代王・景宗(キョンジョン)となるが、彼には子供がいなかった。実際の原因はわかっていないが、張禧嬪に下腹部を強く握られたからではないかと言われている。

文=康 大地【コウ・ダイチ】

〔物語〕張禧嬪(チャン・ヒビン)がついに王妃に成り上がった日!

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19代王・粛宗(スクチョン)は絶世の美女と評された張禧嬪(チャン・ヒビン)のとりこになり、彼女を側室にした。そして、張禧嬪は粛宗の長男を出産した。そうなると、粛宗は正室の仁顕(イニョン)王后を離縁する方向で動き始めた。

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

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1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか

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一度は廃妃になりながら1994年に王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后だったが、長く病に苦しみ1701年8月14日に亡くなった。その後に張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していたことが発覚し、粛宗(スクチョン)は激怒した。

悪女と言えば張禧嬪(チャン・ヒビン)/朝鮮王朝悪女列伝5

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貧しい家庭に生まれた張禧嬪(チャン・ヒビン)は、女官として王宮で働けるようになった。美しい容姿を持つ彼女を一目見た19代王の粛宗(スクチョン)は、やがて彼女を自分の側室にした。そこから、張禧嬪は一気に頂上まで駆け登っていった。

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