済州島(チェジュド)の南側にある西帰浦(ソギポ)市の中心部を歩いていたら、街灯や歩道が美しく整備された通りに出た。無秩序で雑然とした街並みの中で、その通りだけはどこか洗練されていた。街灯に表示板が付いていて、そこに「李仲燮通り」と書かれてあった。
画風が独特な李仲燮
李仲燮(イ・ジュンソプ)といえば韓国で著名な画家だが、どうして彼の名を冠にした通りがあるのだろうか。彼は済州島の出身ではないはずなのだが……。
通りは坂になっていて、ちょっとフラフラしながら登っていくと、やがて李仲燮記念館の案内板があった。円形の白い建物が右折したあたりに見えている。
入ってみると、受付の女性が記念館のパンフレットを渡してくれた。その説明文を読みながら展示物を見て回る。李仲燮の自筆の絵画は少ない様子だったが、彼の手紙や絵葉書が数多く展示されていた。さらに、李仲燮の代表作の摸写作品の展示も多かった。
一つずつ見ているうちに、私は少しずつ李仲燮の世界に魅せられていった。画風が独特でありながら、どの絵にも温かみがある。まるで、南向きに開いた心の窓から心地よい風が入ってくるような感じなのだ。
特に、西帰浦の海の風景を童画風に描いた絵が印象に残った。穏やかで懐古的な時代を思わせる画風が、私を懐かしい記憶の彼方に導いてくれた。
それにしても……。
済州島の出身ではない李仲燮の記念館がなぜ、西帰浦にあるのだろうか。疑問が頭をもたげたが、記念館に併設されている公園をまわって理由がわかった。公園には粗末な草屋があったが、それは、朝鮮戦争のときに西帰浦に避難してきた李仲燮が10カ月ほど住んだ家を復元したものだった。そんな短期間の滞在を重宝し、西帰浦市は「李仲燮通り」を整備し、住居跡の土地を公園化して李仲燮記念館を建設したのである。
公園のベンチで休んでいた地元の人の話では、記念館の建設には反対意見も多かったという。地元の出身でもなく、わずか10カ月住んでいたという因縁だけで、税金を使って記念館を作る必要があるのか、というわけである。しかし、「済州島は観光産業が第一。有名な画家の記念館は観光客誘致に役立つ」という意見が通り、実現に至ったそうだ。
復元された家の前でしばらく佇んだ。小さくて窮屈で屋根が低い家。生活の困窮ぶりが如実に伝わってくる。彼がどんな思いでその家に住んでいたかを考えると暗澹たる気持ちになる。
李仲燮は好きなだけ自由に絵が描ける日々を切に願っていたが、風光明媚なこの場所も安住の地にならず、早々と済州島を引き払っている。その地に記念館ができるというのも皮肉な因縁である。
(次回に続く)
文=康 熙奉(カン・ヒボン)
康熙奉の「韓国に行きたい紀行」済州島7/本土から移ってきた人