朝鮮王朝おもしろ人物列伝(元敬〔ウォンギョン〕王后編)

おもしろ人物列伝
元敬王后が存命中に景福宮(キョンボックン)の慶会楼(キョンヘル)は大きな楼閣に作り変えられている
広告
広告

広告

元敬王后の一族に起きた悲劇

太宗が元敬王后を冷遇した理由は、「王朝を存続させるためには、外戚の力を弱める必要がある」と思っていたからだ。その対象になったのが元敬王后の実家である。太宗は、元敬王后の兄弟たちが大出世を果たしたことを脅威に感じていた。そのため、彼は1410年に王妃の兄2人と弟2人を処刑して、元敬王后の実家を没落させてしまった。
そのような悲劇を受けて、立ち直れないほど落ち込んだ元敬王后は、太宗に激しい憎しみを抱いた。




太宗の側近たちは元敬王后の廃妃を主張したが、彼は息子を4人も産んでくれたことや王になる過程で自分を支えてくれたことを高く評価していた。
元敬王后が産んだ息子は、長男の譲寧(ヤンニョン)大君、二男の孝寧(ヒョニョン)大君、三男の忠寧(チュンニョン)大君、四男の誠寧(ソンニョン)大君だ。
朝鮮王朝には「王の後継者は長男がなる」という決まりがあった。そのため、長男の譲寧が王の後継者に指名されるが、彼は頻繁に宮殿を抜け出すなどの行為を繰り返して後継者の座を剥奪されてしまう。さらに、二男の孝寧も僧侶となることで後継者の座を辞退した。それにより、幼いころからずっと本ばかり読んでいた聡明な三男の忠寧が王の後継者となった。(ページ3に続く)

元敬王后(ウォンギョンワンフ)の悲しみ!朝鮮王朝王妃側室物語2

元敬王后(ウォンギョンワンフ)の悲しみ!朝鮮王朝王妃側室物語2 | 韓国時代劇アンニョン
1392年に朝鮮王朝を建国した太祖(テジョ)の五男である芳遠(バンウォン)は、1400年に3代王の太宗(テジョン)となった。その彼を妻として支えたのが元敬王后(ウォンギョン)王后(1365-1420年)である。

イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった!

イ・バンウォン(李芳遠)は実力で3代王・太宗(テジョン)になった! | 韓国時代劇アンニョン
李芳遠(イ・バンウォン)は、朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)の五男だった。もともと、李成桂には13人の子供がいたが、そのうち男子は8人だった。最初の夫人は神懿(シンイ)王后である。

〔物語〕イ・バンウォン(李芳遠)の人生!朝鮮王朝の3代王

〔物語〕イ・バンウォン(李芳遠)の人生!朝鮮王朝の3代王 | 朝鮮王朝オッテヨ
朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)が盤石な王政を築けたのは、妻の神懿(シンイ)王后から生まれた芳雨(バンウ)、芳果(バングァ)、芳穀(バンイ)、芳幹(バンガン)、芳遠(バンウォン)、芳衍(バンヨン)という6人の息子たちの力が本当に大きか...

イ・ソンゲ(李成桂)とイ・バンウォン(李芳遠)!朝鮮王朝を作った親子の確執

イ・ソンゲ(李成桂)とイ・バンウォン(李芳遠)!朝鮮王朝を作った親子の確執 | 朝鮮王朝オッテヨ
1392年に朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)。彼の五男が李芳遠(イ・バンウォン)である。李成桂には8人の息子がいたが、兄弟の中でこの李芳遠の実力が抜きんでていた。

コメント