日韓の二千年の歴史19/慶長の役

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豊臣軍の撤退

1598年1月になってようやく毛利秀元の軍勢が加勢に来た。彼らは、蔚山城を包囲している朝鮮王朝と明の連合軍を背後から攻め、加藤清正の軍勢を蔚山城から救い出した。それでも豊臣軍の苦戦は免れなかった。
豊臣軍の間に厭戦気分が広がったが、戦を終結させたのは「秀吉の死」だった。彼は1598年8月に世を去り、もはや豊臣軍が朝鮮半島にいる意味もなくなった。
極秘のうちに撤退指令が出された。豊臣軍の各大名が朝鮮半島を引き払うとき、李舜臣に率いられた水軍は執拗に豊臣軍を攻めた。そのあおりで、全羅道の順天(スンチョン)にいた小西行長軍の退却路が完全に封鎖されてしまった。
「このままでは全滅が避けられない」




小西行長が悲嘆に暮れたとき、救いの神となったのが島津義弘だった。彼は慶尚道の露梁津(ノリャンジン)に朝鮮王朝の水軍を誘い込んだ。
この海戦で島津軍は大きな損害をこうむったのだが、逆に小西行長軍は順天から逃れることができた。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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