日韓の二千年の歴史26/政変に揺れる朝鮮王朝

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

1863年、朝鮮王朝で26代王の高宗(コジョン)が即位した。彼はまだ11歳だったので、父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が執権となって、実際の政治を動かすようになった。




開国を迫る日本

1865年、興宣大院君は景福宮(キョンボックン)の再建に乗り出した。景福宮は1395年から1592年まで朝鮮王朝の正宮だったが、豊臣軍との戦乱の最中に焼失し、以後は再建されなかった。
しかし、興宣大院君は273年ぶりに景福宮を無理に正宮にしようと考え、大工事を行なった。莫大な費用がかかったため、庶民には大増税となって評判が悪かった。
さらに、興宣大院君は鎖国攘夷政策を強化した。反対したのが、高宗の妻だった明成(ミョンソン)王后だった。
彼女は1973年に政変を起こし、興宣大院君を失脚させた。
そんな明成王后の前に立ちはだかったのが日本だった。
明治維新後に富国強兵路線を歩んだ日本は、ついに朝鮮半島での権益を狙い始めた。先兵のように動いたのが日本の「雲揚号」だ。
この軍艦が1875年9月に江華島(カンファド)の沖で挑発的な行動を取ったことで軍事衝突に発展した。これが江華島事件である。




日本の武力は、朝鮮王朝にとって脅威だった。ゆえに、朝鮮王朝は強く開国を迫る日本の圧力に抗うことができなかった。
その結果、1876年2月に日本と朝鮮王朝の間で日朝修好条規(江華条約)が締結された。
第1条には「朝鮮国は自主ノ邦ニシテ日本国と平等ノ権ヲ保有セリ」と規定されている。条文には確かに“平等”という文字があるが、現実的にこの条約は“不平等”そのものだった。
(ページ2に続く)

日韓の二千年の歴史27/日韓併合

日韓の二千年の歴史1/海を渡る人々

韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)

韓国はなぜ分断国家になったのか

日本に住んだ韓国女性が驚いたことは?

韓国に嫁に来た日本女性の本音は?

固定ページ:

1

2 3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る