朝鮮王朝を苦しめた「後金」とは何か

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

現在の中国東北部は、かつて満州と呼ばれていた。古くからこの地域に定住していた民族が「女真」であり、古代から様々な国家を作ってきた。そういう歴史の中で、16世紀末に挙兵して女真の諸族をまとめあげたのがヌルハチである。姓は愛新覚羅(あいしんかくら)。彼は、1616年にいわゆる後金を建国した。

200-5

明を破った後金

すでに満州には12世紀から13世紀にかけて女真が作った「金」という国があったので、ヌルハチが建国した国は「後金」と称された。
脅威を感じたのが、国力が衰えていた明(みん)だった。1619年、明はヌルハチを討伐するために大軍を向けるが、大敗を喫してしまった。それほどに後金の武力はまさっていた。




当時、朝鮮王朝は15代王・光海君(クァンヘグン)の統治時代だった。光海君は、宗主国とも言える明から盛んに援軍要請を受けたが、後金の存在を恐れ、中立外交に徹した。結果的に、これが朝鮮王朝の安泰につながった。そういう意味では、朝鮮王朝の外交はここまでは成果を発揮していた。
(ページ2に続く)

光海君(クァンヘグン)の末路!廃位になった後どうなった?

光海君(クァンヘグン)の栄光と転落/朝鮮王朝人物実録1

仁祖(インジョ)の生涯1!綾陽君(ヌンヤングン)の即位

仁祖(インジョ)!何度も王宮から逃げ出した国王

仁祖(インジョ)はなぜ光海君(クァンヘグン)の斬首を拒んだ?

仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!

ページ:

1

2 3

関連記事

  1. 1965年の日韓国交締結はどのように行なわれたか

  2. 『朝鮮王朝実録』は果たして真実を書いているか

  3. 植民地時代の朝鮮半島で何が起こったのか(2020年版/後編)

  4. 韓国はなぜ日本の植民地になったのか/一問一答編2

  5. 日韓請求権協定とは何か

  6. 韓国で芸能人が卑下されてきた歴史的な背景とは?

  7. 絶対に読みたい『春香伝(チュニャンジョン)』!韓国の国民的な伝承物語

  8. 明治維新150年!当時の日韓関係は?

  9. 〔総集編〕韓国はなぜ日本の植民地になったのか

PAGE TOP