悪の手先だった鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)/朝鮮王朝人物実録7

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の人生を振り返ってみると、低い身分から何が何でも抜け出てやろう、という悲壮なまでの覚悟が見えてくる。鄭蘭貞の母は奴婢(ぬひ)だったために、普通なら鄭蘭貞も同じ境遇で生きなければならなかったのだが、彼女は自ら妓生(キセン)となって人生の上昇気流に乗ろうとした。

写真=植村誠




成り上がるための手段

鄭蘭貞は妓生として宴席で酔客のとなりに座りながら、人間をよく観察し、出世の相がある人物をさがした。その中で、めざとい鄭蘭貞が目をつけたのが尹元衡(ユン・ウォニョン)だった。
尹元衡は、11代王・中宗(チュンジョン)の継妃となった文定(ムンジョン)王后の実弟である。文定王后に引き立てられて、尹元衡も高官にのぼりつめていた。
姉の権力に乗って高位を得た傲慢な尹元衡にとって、美貌の妓生を妾にするのは自尊心をくすぐることであった。
しかし、鄭蘭貞のほうは高官の妾ではとうてい満足できなかった。彼女は初めから尹元衡の正妻になることを狙っていた。
鄭蘭貞は文定王后に認められたくて仕方がなかった。そこで考えたのは文定王后が警戒していた敬嬪(キョンビン)・朴(パク)氏を追放して点数をかせぐことだった。当時、敬嬪・朴氏は中宗にもっとも気に入られていた側室だった。




1527年、「灼鼠(しゃくそ)の変」が起きた。
これは、世子(セジャ/国王の正式な後継者)の屋敷の庭で、火であぶられたネズミの死体が木にくくられていた事件だった。それだけでなく、景福宮(キョンボックン)の大殿でも焼け死んだネズミが見つかった。
(ページ2に続く)

中宗(チュンジョン)は不本意な王だった/朝鮮王朝人物実録2

鬼のような文定(ムンジョン)王后/朝鮮王朝人物実録6

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(尹元衡〔ユン・ウォニョン〕編)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(明宗〔ミョンジョン〕編)

『オクニョ』に登場!明宗(ミョンジョン)を早死にさせた文定(ムンジョン)王后

固定ページ:

1

2 3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る