中宗(チュンジョン)は不本意な王だった/朝鮮王朝人物実録2

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[中宗(チュンジョン)の人物データ]

中宗の生没年/1488~1544年
中宗の在位期間/1506~1544年
中宗の父/9代王・成宗(ソンジョン)
中宗の母/貞顕(チョンヒョン)王后

写真=植村誠




政変が起こった

中宗(チュンジョン)は、王子の時代に晋城大君(チンソンデグン)と呼ばれていた。
暴君として有名な燕山君(ヨンサングン)の異母弟であり、本人は「とうてい王になれるわけがない」と思い込んでいた。それだけに、王子としてのんびりした生活を送っていた。ただし、燕山君によくいじめられていたので、その点では苦しい思いをしていたのは間違いない。
彼の人生が劇的に変わったのは1506年だ。
あまりにひどい政治を続けていた燕山君が、家臣たちによってクーデターで王宮を追われることになった。
クーデター軍は大義名分として「燕山君の統治があまりにもひどいので、正しい政治に戻したい」ということを強調したが、代わりの王を擁立(ようりつ)する必要があった。




白羽の矢が立ったのが晋城大君である。
クーデター軍は晋城大君の屋敷に行って、「次の王になってください」と願い出たのだが、晋城大君はすぐに断った。
(ページ2に続く)

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