英祖(ヨンジョ)は偏屈な王だった/朝鮮王朝人物実録3

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[英祖(ヨンジョ)の人物データ]

英祖の生没年/1694~1776年
英祖の在位期間/1724年~1776年
英祖の父/19代王・粛宗(スクチョン)
英祖の母/淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏

写真=植村誠




悲劇の親子

英祖(ヨンジョ)といえば、1762年の大事件が有名である。
それは、次の国王の座が約束されていた思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させた事件である。
あまりにも悲惨な出来事であり、息子を米びつに閉じ込めた英祖は、無慈悲な父と思われてきた。
確かに、やってはいけない暴挙である。
しかし、英祖はなぜそこまでやらなければならなかったのか。
「朝鮮王朝実録」の記述をこまめに読んでいくと、英祖が朝鮮王朝の王位継承を深刻に憂慮していたことがわかる。




思悼世子は頭脳明晰な世子(セジャ)であったはずなのに、成長するとともに酒乱で素行が悪くなり、側室を殺したり家臣に暴力を振るったりしていた。しかも、怪しげな人物たちと放蕩を繰り返した。
(ページ2に続く)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(21代王・英祖編)

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