仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

1636年12月、清の10万人を越える大軍に攻められた朝鮮王朝は、ついに降伏し、翌年の1月に16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪を強いられた。それを象徴する碑を訪ねた。

正面から見た三田渡の碑

碑の上部

屈辱的な石碑

清の皇帝の前に引っ張りだされた仁祖は、地面に額をこすりつけるような形で謝罪しなければならなかった。
そうしなければ、朝鮮王朝は清によって滅ぼされてしまうのだ。そのときの仁祖の屈辱は、いかばかりだっただろうか。
謝罪した場所は漢江(ハンガン)のほとりの三田渡(サムジョンド)である。




それだけでも屈辱なのに、清は朝鮮王朝に対して石碑を建てて歴史を形で残すことを要求した。
それを朝鮮王朝は拒むことができず、碑は1639年12月に建立された。
正式名称は「大清皇帝功徳碑」と言う。
碑の文章は、清に降伏した経緯や、清の皇帝を讃える内容となっている。(ページ2に続く)

仁祖(インジョ)!何度も王宮から逃げ出した国王

仁祖(インジョ)はなぜ光海君(クァンヘグン)の斬首を拒んだ?

光海君(クァンヘグン)の末路!廃位になった後どうなった?

朝鮮王朝を苦しめた「後金」とは何か

ページ:

1

2

関連記事

  1. 『華政(ファジョン)』解説!仁穆(インモク)王后に恨まれた光海君(クァンヘグン)

  2. 『華政(ファジョン)』に登場!光海君(クァンヘグン)の実像〔第1回〕

  3. 光海君と仁祖のライバル物語2「外交」(歴史編)

  4. 康熙奉(カン・ヒボン)が語る「仁祖(インジョ)の功罪」(前編)

  5. 仁祖(インジョ)の生涯4!綾陽君(ヌンヤングン)の即位

  6. 仁祖(インジョ)の生涯3!綾陽君(ヌンヤングン)の即位

  7. 綾陽君(ヌンヤングン)とは誰なのか?『華政(ファジョン)』の登場人物

  8. 光海君(クァンヘグン)の末路!廃位になった後どうなった?

  9. 仁祖(インジョ)はなぜ光海君(クァンヘグン)の斬首を拒んだ?

PAGE TOP