正祖が残した功績
正祖は、祖父である英祖が行なっていた「各派閥から公平に人材を登用する政策」を引き継いだ。しかし、「人材発掘を堂々と行なえば派閥争いに巻き込まれてしまう」と考えていた彼は、奎章閣(キュジャンガク)に目をつける。奎章閣は王室の図書館であり、重要な書籍の編纂や文献などの保管を行なう場所だ。正祖は、そこに有望な若者たちを集めて、様々な研究を行なえるようにした。最終的には100人以上の学者たちが奎章閣に集まり、正祖の文明開化に尽くした。
正祖の功績はそれだけではなく、政治や経済、文化や庶民の生活水準の向上など、数え切れないほどある。それだけ多くの功績を残した正祖だが、1つだけ失敗を犯している。それは、祖母である貞純王后を厳格に処罰しなかったことだ。
1800年に正祖は世を去るが、彼は貞純王后によって毒殺された可能性がある。結局、正祖の後を継いだ23代王・純祖(スンジョ)はまだ10歳だったために、貞純王后が摂政をした。
貞純王后は正祖が進めていた改革をすべて潰すと、自分の息がかかった者を要職に就けるなどして、政治を私物化した。正祖にとって、それは最大の不幸と言わざるを得ない。
文=康 大地【コウ ダイチ】
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1800年6月、正祖の体調が悪化した。それでも彼は、薬を調合する現場を自ら視察している。彼自身が薬について詳しかったこともあるが、おそらく毒殺されることを極度に警戒していたものと思われる。
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1674年に即位した19代王・粛宗(スクチョン)は、商業の活性化をはかり庶民の生活向上に成果を発揮した。しかし、女性問題で度々トラブルを起こしている。
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