第17回 命を狙われながらも功績を残した名君
韓国時代劇のドラマ『イ・サン』や映画『王の涙-イ・サンの決断-』の主人公として有名な正祖(チョンジョ)。王になる前から何度も命の危機にさらされた彼は、どのような人生を歩んだのだろうか。その背景を見てみよう。
幼少時に受けたトラウマ
21代王・英祖(ヨンジョ)の息子である荘献(チャンホン)。聡明だった彼は世子となるが、その際に政治を批判したことにより、重臣たちを敵に回してしまう。
その後、重臣や荘献の親族たちの策略で父親と険悪な関係になった。度重なる悪評を聞いた英祖は、息子に自害を命ずる。しかし、いつまで経っても自害しようとしないため、しびれを切らした王は、荘献を米びつに閉じ込めてしまう。
荘献の息子である祘(サン)は、必死で「父親を助けてほしい」と懇願するが、英祖はその願いを受け入れなかった。結局、荘献は世子という立場でありながら、米びつの中で餓死するという悲惨な最期を遂げた。(詳しくは第14回 思悼世子編より)
幼かった祘は、父親を陥れた者たちに対して復讐心を抱いた。世子だった荘献が亡くなったことで、英祖が新たな後継者として祘を指名する。立派な後継者にするために英祖は様々な教育を施すが、荘献を陥れた者たちからしてみれば、それは望ましいことではなかった。祘が王になれば、自分たちが報復されることがわかっていたからだ。そのため、彼らは刺客を放って、祘の命を何度も狙った。
かなり用心深かった祘は、寝るときも着がえなかったそうだ。(ページ2に続く)
危篤になる前のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は何を語ったか
危篤になる前のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は何を語ったか | 朝鮮王朝オッテヨ
1800年6月、正祖の体調が悪化した。それでも彼は、薬を調合する現場を自ら視察している。彼自身が薬について詳しかったこともあるが、おそらく毒殺されることを極度に警戒していたものと思われる。
英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)!激動の朝鮮王朝史8
英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)!激動の朝鮮王朝史8 | 朝鮮王朝オッテヨ
1674年に即位した19代王・粛宗(スクチョン)は、商業の活性化をはかり庶民の生活向上に成果を発揮した。しかし、女性問題で度々トラブルを起こしている。
イ・サンは本当に毒殺されたのか
イ・サンは本当に毒殺されたのか | 歴史カン・ヒボン
朝鮮王朝の22代王・正祖(チョンジョ)は、ハングルを創製した聖君・世宗(セジョン)と並ぶほどの名君と評価されている。何よりも、頭脳明晰で学者顔負けの博識だった。彼はドラマ『イ・サン』の主人公としてもよく知られている。
『イ・サン』が描いた正祖(チョンジョ)と洪国栄(ホン・グギョン)の関係は真実?
『イ・サン』が描いた正祖(チョンジョ)と洪国栄(ホン・グギョン)の関係は真実? | 歴史カン・ヒボン
ドラマ『イ・サン』では正祖(チョンジョ)の名君ぶりがたっぷりと描かれたが、その正祖を補佐して活躍したのが洪国栄(ホン・グギョン)だった。しかし、2人は最後に悲劇的な結末を迎えてしまうのだが……。




コメント