張禧嬪を妻に迎えた粛宗
粛宗には合計で4人の正妻がいて、その中には「朝鮮王朝3大悪女」の1人である張禧嬪(チャン・ヒビン)もいた。
粛宗は、宮中に女官としてやってきた張禧嬪の美貌に一目ぼれし、一夜を共にすることもあった。彼の母親である明聖王后は「この女はいつかわざわいを起こす」と思い、張禧嬪を王宮から追い出した。
1683年、明聖王后が世を去った。その後、粛宗の正妻である仁顕(イニョン)王后は張禧嬪を王宮に戻したが、すぐにそれを後悔することになる。粛宗の寵愛を受けた張禧嬪は仁顕王后にお礼も言わずにわがままに振る舞うようになった。
このときの粛宗の悩みは自分の息子がいないことだったが、1688年に張禧嬪が息子を産んだことで解消された。それが仁顕王后の立場をさらに不利にしたのである。
粛宗が張禧嬪との間に生まれた息子を後継者にしようとした。そのことに対して、「仁顕王后様はまだ21歳と若いので、まだ子供を産む可能性がございます。もう少し待つべきです」などの反対意見が飛んだ。しかし、どんなに反対意見が出ようとも、粛宗は自分の意見をまったく変えなかった。(ページ3に続く)
〔特集〕張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の心を奪った日々!
〔特集〕張禧嬪(チャン・ヒビン)が粛宗(スクチョン)の心を奪った日々! | 韓国時代劇アンニョン
1680年の秋、19代王・粛宗(スクチョン)は女官だった張禧嬪(チャン・ヒビン)の美貌に目を見張った。この年には粛宗の最初の正妻だった仁敬(インギョン)王后が亡くなっているが、粛宗の心はすでに張禧嬪しか見えていなかった。
〔物語〕もし粛宗(スクチョン)が現代に甦ったら何を語る?
〔物語〕もし粛宗(スクチョン)が現代に甦ったら何を語る? | 朝鮮王朝オッテヨ
生没年は1661年~1720年。1674年に19代王として即位。政治的な業績も多かったが、女性問題でよくトラブルを起こして王宮内を混乱させた。1689年に、仁顕(イニョン)王后を離縁して、側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)を王妃に昇格させて...
粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!
粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した! | 朝鮮王朝オッテヨ
1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか
粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか | 朝鮮王朝オッテヨ
一度は廃妃になりながら1994年に王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后だったが、長く病に苦しみ1701年8月14日に亡くなった。その後に張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していたことが発覚し、粛宗(スクチョン)は激怒した。



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