朝鮮王朝おもしろ人物列伝(10代王・燕山君編)

おもしろ人物列伝
ドラマ『王妃チャン・ノクス~宮廷の陰謀~』ではユ・ドングンが燕山君(ヨンサングン)を演じた
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燕山君について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

繰り返される暴政

最初は「戊午士禍(ムオサファ)」である。 燕山君は、道義と名分を重んじる士林派の高官たちを目の敵にしており、何かと口うるさかったため、そんな士林派を容赦なく弾劾した。この事件の呼び名の由来は、1498年の戊午の年に起きたからだ(「士禍」とは、朝鮮王朝時代に派閥党争などが原因で官僚や学者たちが犠牲になった事件を指している)。

次はその6年後の1504年、甲子の年に起こった「甲子士禍(カプチャサファ)」だが、この事件は「戊午士禍」よりも酷い出来事である。

生まれてからずっと母親である斉献王后の愛を知らずに育った燕山君。父親である成宗が口止めをしていたため、周りの者たちも斉献王后のことについて語ろうとはしなかった。しかし、出世欲に目がくらんだ者が母親の追放されたときのことや死罪となったことを燕山君に話してしまう。それを聞いた彼は一晩中泣き続けた。




その後、燕山君は斉献王后の復位を望むが、周りから「罪人を復位させるなどとんでもない」など反対の意見が多くあがった。彼はその意見をすべて無視して、母親の死罪に関わった者たちや母親の復位に反対した者たちを処刑した。さらに、すでに亡くなっている者に関しては、墓を掘り返して首をはねた。

それらの暴政に耐えきれなくなった庶民たちは、「女と酒のことしか考えてない最低な王だ」とか「あんなやつを王とは認めない」など燕山君を批判する文をあちこちに書いたのである。庶民たちのそんな行動を知った燕山君は、「今後、ハングルを使用することは許さん」と言って、庶民がハングルを使うことを禁止してしまった。(ページ3に続く)

中宗(チュンジョン)と燕山君(ヨンサングン)の異母兄弟同士の確執!

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朝鮮王朝の10代王・燕山君(ヨンサングン)と11代王・中宗(チュンジョン)は、韓国時代劇によく登場する王であり、知名度も高い。この2人の父親は9代王・成宗(ソンジョン)だが、母親がそれぞれ違っている異母兄弟だ。

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1506年、暴君・燕山君(ヨンサングン)の最悪な政治に危機感を持った高官たちがクーデターを起こした。彼らはまず、燕山君の異母弟にあたる晋城大君(チンソンデグン)を訪ねた。燕山君の後に王位に就いてもらうためである。

燕山君(ヨンサングン)の追放!激動の朝鮮王朝史5

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9代王の成宗は、1485年に「経国大典」を完成させる。これは、朝鮮王朝の基本法典になった重要な法律書だ。成宗の功績は大変大きいと言える。その長男が悪名高い10代王の燕山君(ヨンサングン)である。

燕山君(ヨンサグン)の悪行!朝鮮王朝の重大な事件簿1
https://goo.gl/hBDNf0

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