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タグ:韓国
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追憶の済州島紀行8「かつての済州島」
島の東に向かうバスに乗った。島を一周するのに右回りを選んだのは、単に時計回りのほうがなじみやすいからだった。車窓を通して、済州島の雄大な風景が目に入ってくる。青い海が広がり、黒い火山石が露出し、漢拏山… -
追憶の済州島紀行7「感激のヘムルタン」
島の東側に行くバスの停留所を尋ねたら、歩いて5分くらいの場所だという。そこへ向かっているときに、急に空腹を覚えた。これは大いに望むところだった。済州島の食を満喫するためには、すぐに腹が減ってくれないと… -
追憶の済州島紀行6「尊重されてきた三姓穴」
三姓穴の聖域化は、朝鮮王朝時代の1526年、当時の李壽童牧使の時代から推進された。穴のまわりに石で垣根をつくり、北側に紅門と碑を建て、春と秋には三姓を受け継いだ一族によって祭祀を行ない、11月には島民… -
追憶の済州島紀行5「三姓穴の穴が見たい」
三姓穴の案内によると、石柵に囲まれた芝生の庭の中に3つの穴があるという。ところが、石柵の前で何度も爪先立ちしたが、穴があるとされる、ロープで示された囲いの中をまったく窺い知ることができなかった。他の人… -
追憶の済州島紀行4「ここは『食の島』」
眈羅巡礼図を持っていたのは、陸地(済州島の人は朝鮮半島のことをこう言う)に住んでいた李衡祥の子孫だった。その図を3億ウォンで済州市が買い取り、それを基に各堂を復元したというわけだ。おかげで、李衡祥牧使… -
追憶の済州島紀行3「済州牧官庁の由来」
観徳亭のとなりには、朝鮮王朝時代の施設を復元した済州牧官庁という史跡地があった。そこは、耽羅国の時代から島を統括する政治を司った中心地だったようだ。実際、何棟もの堂が新しく復元されていて見栄えがよかっ… -
追憶の済州島紀行2「トルハルバンの起源説」
像とは本来、威厳をもって造られるものであろう。しかし、トルハルバンにかぎっては威厳よりも愛嬌が先行している。これぞ、古来陽気な済州島人の諧謔精神の表れか。それでも、城門の前に建てられたのであるから、厳… -
追憶の済州島紀行1「象徴的なトルハルバン」
済州空港から済州島に入って最初に向かったのは、朝鮮王朝時代の済州島を代表する建物だった観徳亭である。今も、車の往来が激しい済州市の中心部に古めかしく存在している。堂々とした屋根瓦と、梁に描かれた時代絵… -
韓国で特別にワカメスープを飲む意味は?
韓国の人たちは本当にワカメスープを重宝している。それも当然かもしれない。なにしろ、ワカメにはミネラルが豊富にあって栄養が満点だからだ。しかも、誕生日に食べる特別なものがワカメスープでもある。 … -
韓国の暮らしで感じること8「酒席での礼儀作法」
かつて韓国では、目上の人の前でお酒を飲むのは失礼だと思われていた。そんな伝統が今も礼儀のうえで残っている。そのため、年上と一緒にお酒を飲むとき、年下はわざと顔をそむけて年上からは見えないような角度でお…