追憶の済州島紀行4「ここは『食の島』」

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眈羅巡礼図を持っていたのは、陸地(済州島の人は朝鮮半島のことをこう言う)に住んでいた李衡祥の子孫だった。その図を3億ウォンで済州市が買い取り、それを基に各堂を復元したというわけだ。おかげで、李衡祥牧使の子孫は望外の褒美をもらったことになる。持つべきものは偉大な先祖というべきか。

済州島の海(写真=済州特別自治道観光協会)




観徳亭から三姓穴へ

私は高芳順さんと2人で「羨ましい。私たちにもそんな先祖がいたらねえ」とささやきあった。
「ところで、なんで私が日本から来たとわかったの?」
「日本人と韓国人はよく似ているけど微妙に違うの。細かく言うと、韓国人の顔は妙に緊張しているんです。特に街中にいると、その緊張感がすごく顔に出てしまうんですね。ところが、あなたを見ていたら緊張感がなかったから、日本から来たに違いない、と」
「私も両親は済州島の出身なんですけどね」
「でも、日本で生まれたら、顔つきも日本人になってしまうでしょ。暮らしというのは、かならず顔に出るんですよ」
高芳順さんはそう断言した。
彼女の言う通りだと思った。やはり、韓国人は外に出たときには強烈な上昇指向を見せながら油断なく振る舞っているという印象がある。それだけ顔にも緊張がみなぎるのであろう。




このあと、高芳順さんに見送られて観徳亭を去ったあと、私は東門市場を抜けながら三姓穴に向かって行った。
東門市場には本能的に食欲を刺激する露店が多く、狭い通りの両脇にズラリと並んだ台の上には魚や肉、野菜などがあふれんばかりに積まれていた。しかも、売り子の人たちの声がやたらと賑やかで、市場全体が活況を呈していた。
まさに済州は「食の島」であることを見せつけるような光景だ。私も旨いものを物色したくて仕方がなかったが、旅が始まったばかりで荷物を増やしたくなかったので、なんとか自重した。
観徳亭から三姓穴までは、ゆっくり歩いて20分ほどだった。
正門から木立の間を抜けてお目当ての庭に出た。そこには新婚旅行、家族旅行、団体旅行の観光客が目立ち、かなりの人数が集まっていた。やはり三姓穴は済州観光の定番なのである。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

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