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カテゴリー:歴史物語
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英祖(ヨンジョ)の人生がよくわかるエピソード集!
朝鮮王朝の21代王の英祖(ヨンジョ)は、1694年に生まれた。父は19代王の粛宗(スクチョン)、母は側室の淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏だ(ドラマ「トンイ」の主人公)。異母兄は、粛宗と張禧嬪(チャン・… -
明治維新150年!当時の日韓関係は?
1867年10月、徳川幕府は朝廷に大政を奉還。これによって、264年間続いた徳川幕府が終焉した。しかし、翌年の1月3日に薩摩・長州軍と旧幕府軍が鳥羽・伏見で武力衝突して戊辰戦争が始まった。新しく誕生し… -
イ・サン(正祖)が即位直後に一番やりたかったことは?
1776年、24歳で正祖(チョンジョ/ドラマ「イ・サン」の主人公)は王になった。即位後の第一声は「嗚呼!寡人は思悼世子の子なり」という言葉だった。この「寡人(クァイン)」というのは、王が自分のことをい… -
仁祖(インジョ)の屈辱を象徴する三田渡(サムジョンド)の碑!
1636年12月、清の10万人を越える大軍に攻められた朝鮮王朝は、ついに降伏し、翌年の1月に16代王・仁祖(インジョ)が屈辱的な謝罪を強いられた。それを象徴する碑を訪ねた。 [caption i… -
光海君(クァンヘグン)の末路!廃位になった後どうなった?
1623年に仁祖(インジョ)がクーデターを起こして、光海君(クァンヘグン)は廃位となった。王宮を追われた国王は燕山君(ヨンサグン)に続いて2人目だが、光海君の場合は、その後にどんな末路をたどったのだろ… -
日本との外交を憂慮した申叔舟(シン・スクチュ)の遺言!
申叔舟(シン・スクチュ)は15世紀の朝鮮王朝で官僚トップになった人物だった。日本に行った経験もあり、当時の朝鮮王朝で誰よりも日本のことをよく知っていた。そんな彼は臨終のときにどんな言葉を残したのか。 … -
世界遺産となった朝鮮通信使とは何か
ユネスコの「世界の記憶」に、日韓の団体が共同で申請していた「朝鮮通信使に関する記録」が選ばれた。この朝鮮通信使とは、歴史的にどんな存在なのだろうか。友好の証であった使節の概略を見てみよう。 [c… -
『イ・サン』の主人公の正祖(チョンジョ)は本当に名君だった?
朝鮮王朝時代の名君と言えば、なんといっても、ハングルを作った4代王・世宗(セジョン)があまりに有名だ。今でも韓国の小学校に行けば世宗の銅像がよくあるし、1万ウォン紙幣の肖像画になっている。この世宗に名… -
少子化の真逆!王建(ワン・ゴン)には25人の王子がいた?
高麗王朝の初代王であった王建(ワン・ゴン)。韓国時代劇の主人公になった英雄だが、彼には非常に多くの子供たちがいた。それは、彼が王朝を建国する過程で「あること」を繰り返した結果であった。 29… -
韓国で芸能人が卑下されてきた歴史的な背景とは?
世界的なスターを生み出している韓国の芸能界。そのあこがれの世界を夢見る子供たちは多いのですが、いまだに韓国社会では芸能人を低く見る風潮が残っています。そこには、どんな歴史的背景があるのでしょうか。 …