世界遺産となった朝鮮通信使とは何か

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ユネスコの「世界の記憶」に、日韓の団体が共同で申請していた「朝鮮通信使に関する記録」が選ばれた。この朝鮮通信使とは、歴史的にどんな存在なのだろうか。友好の証であった使節の概略を見てみよう。

滋賀県の雨森芳洲庵にある朝鮮通信使すごろく。朝鮮通信使の経路がよくわかる

第1回目は1607年

朝鮮通信使は、徳川幕府と朝鮮王朝との間の善隣友好関係を象徴する使節であり、江戸時代を通じて合計12回にわたって来日している。
そのうちの10回は江戸に入府して、盛大に国書の交換が行なわれた。その儀式は幕府にとって「最高の格式」で取り行なわれており、幕府はことのほか朝鮮通信使に気を遣い、最大級の厚遇でもてなしている。




江戸時代の外交というと、とかく「鎖国」ばかりが強調される。事実、徳川幕府は日本人の海外渡航を禁止し、貿易面でも長崎と対馬において細々とした制限貿易が行なわれただけであった。
しかし、厳密な意味での鎖国ではなかった。日本と朝鮮王朝は正式な外交関係を結んでいたのである。
その象徴が朝鮮通信使だった。
第1回目は1607年に来日している。このときは、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって険悪となった両国関係の修復のために訪れた。(ページ2に続く)

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