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カテゴリー:歴史物語
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世祖(セジョ)はなぜ朝鮮王朝でも評判が悪いのか
世祖は甥の端宗(タンジョン)から王位を奪って1455年に7代王となった。彼の祖父である3代王・太宗(テジョン)も異母兄弟と骨肉の争いを起こして王になっている。しかし、建国当時と違って、すでに儒教の倫理… -
「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠
ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の… -
なぜ朝鮮王朝が寄贈した鐘が今も東照宮にあるのか
平成の大修復を終えて日光東照宮の陽明門が脚光を浴びている。連日、大勢の観光客が詰めかけて、絢爛豪華な装飾美を堪能しているのだ。その陽明門のすぐ下にある鐘は、実は朝鮮王朝から寄贈されたものである。 … -
朝鮮王朝では「王位継承をめぐる骨肉の争い」が多かった
朝鮮王朝では、王家を揺るがす大事件があまりに多く起こっている。その最たるものが、王位継承をめぐる骨肉の争いである。王族同士の熾烈な闘いをここで改めて振り返ってみよう。 まずは「王子の乱」 … -
『イニョプの道』に登場する太宗(テジョン)とは誰か?
朝鮮王朝の3代王・太宗は、初代王・太祖(テジョ/李成桂〔イ・ソンゲ〕)の五男だった。兄弟同士の骨肉の争いを制して、彼は1400年に朝鮮王朝の3代王として即位し、王朝の基盤を整備した。 異母弟… -
儒教は歴史的に日韓でどう浸透したのか
歴史的に見ると、徳川幕府も朝鮮王朝も儒教を社会倫理の根幹として受け入れ、社会制度の中に組みこんでいた。特に、儒教の中でも名分を重んじる朱子学が中心であった。ただし、世間に浸透する深みには日本と朝鮮半島… -
朝鮮王朝の「経国大典」を知っていますか?
朝鮮王朝を語るときに、絶対に欠かせない第一級の史料が「経国(キョングッ)大典(テジョン)」である。この「経国大典」とは何か。一言で言えば、朝鮮王朝時代の政治と社会を規定した基本法典である。 [c… -
仁祖(インジョ)!何度も王宮から逃げ出した国王
1623年にクーデターを成功させて15代王・光海君(クァンヘグン)を廃位させた綾陽君(ヌンヤングン)。彼はすぐに16代王・仁祖(インジョ)として即位した。しかし、彼の在位中は苦労の連続だった。 … -
[再掲載]貞明(チョンミョン)公主(コンジュ)の結婚!
貞明公主は1603年に14代王・宣祖(ソンジョ)の娘として生まれた。母は、宣祖の二番目の正室だった仁穆(インモク)王后である。51歳にして初めて公主(王の正室から生まれた王女)を得た宣祖は、貞明公主を… -
[再掲載]『華政』歴史背景!光海君(クァンヘグン)と仁穆(インモク)王后の対立
韓国時代劇『華政』の歴史的な背景を見てみよう。光海君と仁穆王后の対立は、なぜ起こったのだろうか。そこには、厳しい王位継承問題がからんでいた。 側室から生まれた2人の王子 14代王・宣祖(ソ…