島の東に向かうバスに乗った。島を一周するのに右回りを選んだのは、単に時計回りのほうがなじみやすいからだった。車窓を通して、済州島の雄大な風景が目に入ってくる。青い海が広がり、黒い火山石が露出し、漢拏山(ハルラサン)の寄生火山が起伏をつくっている。
半島と陸続きであった
まさに眈羅の風景だ。見慣れた朝鮮半島の風景とはまったく違う。海を隔てると、こんなにも風景は変わるのか。
ただし、済州島は朝鮮半島から切り離された離島として常に存在していたわけではない。かつて半島と陸続きだった時期があったのである。
それと関連する話になるのだが、約1万8千年前からの数千年の間、地球上の最終氷河期の最盛期には、日本列島が大陸と陸続きであったという事実はよく知られている。
日本海(朝鮮半島から見れば東海)はちょうど内海のようになっていた。その氷河期が終わり、おびただしい氷が溶けて海面が上昇し、多くの島々から成る日本列島が生まれたのである。
その氷河期の最盛期に、実は済州島も朝鮮半島とつながっていた。つまり、当時の済州島は陸地の最南端に当たっていたわけだ。そこに漢拏山が聳えている。北から見れば、高い火山は目立って仕方がなかった。当然ながら南下する際の大きな目印となる。
それでは、誰にとっての目印になったのか。
実は、現在の朝鮮半島に住む人々の原型は、東北アジアに広く分布していたモンゴロイド系の人々である。後にツングースと呼ばれた狩猟民族と考えればいい。その種族は氷河期に暖かい土地を求めてひたすら南下した。
「遠いところに高い山がある。あそこまで行こう」
当時は済州島も朝鮮半島と陸続きだから、漢拏山の麓まで辿り着くことも可能だった。そうやって多くのモンゴロイド系種族が最南端で定住するようになった。
ところが、氷河期が終わって水位が上がり、済州島は離島として孤立した。もはや他の種族が漢拏山まで南下することができなくなった。こうして先に最南端に達した人たちが済州島の先住民となったのである。
この先住民は、中国の『三国志』韓伝では「州胡人」と呼ばれた。その記述は以下のような内容になっている。
「馬韓(朝鮮半島の南西部)の西の海のほうに大きな島があり、州胡人が住んでいる。その身体はやや小柄で、言葉も韓人(朝鮮半島に住む人々)と同じではない。頭髪は短く、皮で作った衣服を着て、よく牛や豚を飼っている。その衣服も上衣だけで下衣がなく、まるで裸のようである」
この短い文章の中に、州胡人の特徴がよく表れている。それは、『後漢書』韓伝の記述と比較すると、その違いがより鮮明になる。
文=康 熙奉(カン・ヒボン)