康熙奉の「韓国に行きたい紀行」済州島8/西帰浦の由来

このエントリーをはてなブックマークに追加

 

私は李仲燮(イ・ジュンソプ)にますます興味を持った。「李仲燮といえば、韓国でも凄い画家でしょ」と私が言うと、チョスクさんは「ええ。有名な画家を3人あげれば、かならずその中に入るでしょうね。朴寿根(パク・スグン)、金煥基(キム・ファンギ)、そして、李仲燮……かな」。三番目に李仲燮の名が出たのが意外だった。真っ先に李仲燮を挙げると思っていたからだ。

西帰浦の市内




徐福の故事

「李仲燮が一番ではないんですね」
私がそう言うと、彼女はちょっと首をかしげた。
てっきりチョスクさんは熱烈な李仲燮のファンかと思ったが、実際は「先に物件ありき」だという。カフェに適した物件が、たまたま李仲燮記念館の前だったということなのである。
それを聞いて、かえって私は安心した。どんな事情があるかはしらないが、彼女はよその土地から済州島に移ってきて、30歳前後でカフェを開いている。ファン心理の延長ではとうてい経営は無理。観光地で末永く店を続けようと思ったら、特定の客を対象にしないほうがいいのである。
それでも、客の入りはよくないようだ。私は「ミルナム」に1時間ほどいたが、その間、他に客はいなかった。
<1年後に訪ねたとき、まだ店があるかどうか>




ちょっぴりそんな心配をしながら、私はチョスクさんの穏やかな南風を感じさせる微笑みに送られて「ミルナム」を後にした。
さらに、西帰浦(ソギポ)の市内をゆっくり歩いた。
西帰浦という地名には、歴史的な由来がある。
逆上ること今から2000年以上も前、秦の始皇帝の時代。不老長寿の霊薬を求めた始皇帝は、配下の徐福を諸国につかわした。徐福は苦難の末に、済州島で霊薬に似たものを捜し当て、島の南側の浦から中国大陸をめざして西へ帰って行った。この故事に出てくる浦……つまり、「西へ帰る浦」が今の西帰浦だと島の古老は言う。
徐福は西をめざしたが、私は北に向けて出発した。
ただし、飛行機はやめて、船、バス、鉄道を乗り継いでソウルに行くことにした。ひとっ飛びで目的地、というのが時間の最大有効活用法であることは確かだが、それは多忙で1日が25時間あればよいと願う人たちの話。私は普通に1日が24時間でいいと考えているし、今そこに緊急の用件を抱えているわけでもないので、風景をのんびり見ていられる速度で北をめざすことにした。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

康熙奉の「韓国に行きたい紀行」済州島1/韓国の最南端

康熙奉の「韓国に行きたい紀行」済州島2/アワビの刺身

康熙奉の「韓国に行きたい紀行」済州島7/本土から移ってきた人

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る