日韓の二千年の歴史10/白村江の戦い

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援軍と船400隻

鬼室福信は軍事面で統率力があったが、豊璋は30年近くも異国に住み、軍事がよくわからなかった。
軍事面を鬼室福信に任せれば良かったのに、豊璋は自ら軍を率いようとした。しかし、戦略的な失敗が多かった。
かくして、両者の対立が深まったが、豊璋が鬼室福信を急襲して斬首した。
しかし、この内紛は豊璋自身にも致命傷となった。
軍事の統率者を失った復興軍は勢いが弱くなった。豊璋の依頼によって、大和の朝廷は援軍と船400隻を復興軍に加えた。




663年、白村江(はくそんこう/韓国では「錦江」と呼ばれる)で百済・日本が新羅・唐を相手に戦った。
日本はまだ水上の戦いに不慣れだった。船400隻も唐船に比べると相当に小さかったという。
それなのに、豊璋は無鉄砲すぎた。戦力の違いをよく見極めようともせず、カラ元気だけは勇ましかった。
豊璋は日本の諸将と一緒に気勢をあげた。
「我らが先に攻め込めば、敵は驚いて退くだろう」
相手が弱ければその通りだが、敵は中国大陸を支配する大帝国の唐なのである。
(ページ3に続く)

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