日韓の二千年の歴史10/白村江の戦い

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逃亡した豊璋

唐は、突っ込んできた日本の水軍を左右から挟み打ちにした。
このときの状況を「日本書紀」は、「たちまち日本の軍は敗れてしまった。川に落ちて溺死する者が多かった。百済王の豊璋は数人と一緒に船に乗って高句麗へ逃げた」と記している。
威勢が良かったわりに、豊璋はいざとなって真っ先に逃げた。所詮、戦いを指揮する器ではなかったのだ。
こうして、百済復興は夢と散った。




水軍が白村江の戦いで敗れたあと、大和の朝廷が最も恐れたのが、新羅と唐が襲いかかってくることだった。
朝廷は九州北部を初めとした日本海側の沿岸部に防御用の築城を進めた。
防衛の総仕上げが大津への遷都だった。近江の大津は交通の要衝で、敵の攻撃を受けたとき東に避難するのに都合が良かった。
朝廷は都を667年から672年まで大津に置いたが、672年に壬申の乱が起きて大津宮は廃墟となった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。

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