日韓の二千年の歴史9/京都と秦氏

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秦氏の隆盛

秦河勝が聖徳太子から譲り受けた仏像が、広隆寺の御本尊として現存する弥勒菩薩半跏思惟像だという。
これは推古天皇11年(603年)の話だが、以後も秦氏の勇名は轟いた。桓武天皇が都を平城京から移すときに京都を選んだのも、秦氏の財力をあてにしたからだ。こうして、794年に平安京の建設が始まる。
今も嵐山に行って川の岸辺に佇んでいると、随所に堰があるのがよくわかる。こうした堰の数々も、秦氏が嵐山一帯を開拓したときの名残だと言われている。




川の名は、渡月橋の上流は保津川と呼び、渡月橋の下流は大堰川という。この大堰川という名前も、秦氏が大堰を作って水利をよくしたことが起源になっている。
近くには松尾大社がある。
ここは秦氏とゆかりがある大社だ。
氏の神が住む山として秦氏の人々が崇めたのが松尾山(標高223メートル)で、そのふもとに秦氏が建てた社殿が松尾大社である。
実際、松尾大社は京都でも最古に属する神社である。
歴史的にも、京都の発展は秦氏から始まった、と言える。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

康 熙奉(カン ヒボン)
1954年東京生まれ。在日韓国人二世。韓国の歴史・文化と、韓流および日韓関係を描いた著作が多い。特に、朝鮮王朝の読み物シリーズはベストセラーとなった。主な著書は、『知れば知るほど面白い朝鮮王朝の歴史と人物』『朝鮮王朝の歴史はなぜこんなに面白いのか』『日本のコリアをゆく』『徳川幕府はなぜ朝鮮王朝と蜜月を築けたのか』『悪女たちの朝鮮王朝』『宿命の日韓二千年史』『韓流スターと兵役』など。最新刊は『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』。

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