1701年、19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった張禧嬪(チャン・ヒビン)は、亡くなった仁顕(イニョン)王后に対して呪詛(じゅそ/呪い殺す儀式のこと)をした罪で死罪となった。そのときの描き方は、史実とドラマ『トンイ』では、どのように違うのだろうか。
奇怪な行動
まず、史実から見てみよう。
記録によると、張禧嬪は死の前に「ぜひ息子に一目会わせてください」と粛宗に願った。粛宗は拒否したが、張禧嬪があまりに懇願するので最後は情にほだされて、張禧嬪と息子(後の20代王・景宗〔キョンジョン〕)の面会を許した。
この世の終わりに13歳の息子と会えた張禧嬪。万感の思いで息子を抱きしめるのかと思ったら、なんと、息子の下焦(ハチョ/膀胱の上のあたり)を強く握りしめて離さなかったらしい。
息子は衝撃で気を失ってしまった。
なぜ、張禧嬪は奇怪な行動に出たのか。
まさに、永遠の謎である。(ページ2に続く)
悪女と言えば張禧嬪(チャン・ヒビン)/朝鮮王朝悪女列伝5
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