流刑の島
『大長今』は16世紀前半の物語である。ときは、朝鮮(チョソン)王朝時代前期だった。当時の流刑は、罪の軽重によって流配地を決定するというものだった。つまり、重い罪を負うほどソウルから遠い場所に流されたのである。
特に、多かったのが朝鮮半島西南部の諸島や済州島。とりわけ、朝鮮王朝時代に南海の孤島とされた済州島は、最も多くの政治犯が流刑となった島であった。
しかも、済州島への流罪は終身刑を意味していて、生きて再び都に戻ることは皆無に近かった。それゆえ、権力闘争に明け暮れた支配階級の人々は、済州島への流罪をとても恐れた。
その中の1人が、朝鮮王朝第15代国王の光海君(クァンヘグン)である。
1608年に即位した光海君。当初は名君という評判もあった。豊臣軍との戦いによって荒廃した国土の復興に尽力し、歴史的に貴重な史籍の編纂にも貢献をした。
しかし、取り巻きが王の威光を利用して国政を乱し、役人の間で賄賂が横行した。金さえあれば、官位・官職を得やすい風潮が生まれ、民衆から怒りの声が上がった。光海君も兄や弟を殺し、悪評にまみれた。(ページ4に続く)