夏こそ行きたい!韓国南部の旅2

このエントリーをはてなブックマークに追加
DSCF1121

流刑となった光海君もウェドルゲを見たのだろうか

光海君の晩年

朝鮮王朝では常に権力闘争が激しく、権謀の末の政権交代がよく起こった。1623年、光海君はクーデターによって王の座を追われた。都を追放され、最後は済州島に流された。

行き先は告げられていなかった。船の周りに幕を張って、方向がわからないようにしてあったのだ。

済州島に着いたとき、光海君は初めて自分が孤島に流されたことを知る。

「なぜ、こんなところへ……」

光海君は絶望した。この島で骨を埋める覚悟もなかなかできなかった。

「ご在位のとき、奸臣を遠ざけ、良からぬ者が政治にかかわらぬようにしていれば、ここまで遠くにお出でにならなかったのに……」




島の役人にそう言われたものの、すべては後の祭であった。

光海君は元の国王ということで、生活に不自由はなかった。しかし、威光という点では昔と比べるまでもなく、「王の座を追われたのは、ご自身が招いた結果」と周囲の者から陰口を言われる有様だった。

光海君が没したのは1641年。享年66歳。15年も王位にあった者としては、実にあわれな晩年だった。

私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)は、『大長今』のおかげで新たに整備されたウェドルゲの遊歩道を歩きながら、しみじみと済州島の今昔を思った。

かつて、都の人が身震いするほど恐れた済州島は、今は韓国最高の観光地となった。よく言われている「東洋のハワイ」という讃え方は大げさだが、それでもここには行楽に必要な景観・美食・観光施設のすべてが良好に揃っている。昔の流刑地は経済効果が高い観光のメッカへと変貌したのである。

〈第3回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

出典=「韓国のそこに行きたい」(著者/康熙奉 発行/TOKIMEKIパブリッシング)

固定ページ:
1 2 3

4

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る