正祖が行なった報復
1776年に英祖が世を去り、荘献の息子である祘が後を継いで22代王・正祖として即位した。王となった彼は、自分が荘献の息子であることを強調して、父を死に追いやった者は絶対に許さないという意志を示した。
その後、正祖は荘献を陥れた者たちを次々と処罰していくが、祖母である貞純(チョンスン)王后だけは罰することができなかった。朝鮮王朝時代は儒教を重んじていたため、もし、正祖が祖母を処罰したら、朝鮮王朝が混乱に陥ることは明白だった。
それでも貞純王后を憎むことを忘れなかった正祖は、彼女のまわりの勢力を一掃したのである。
大規模な粛清を行なった正祖は、亡き父のために首都である漢陽(ハニャン)の南に位置する水原(スウォン)に華城(ファソン)を造って、そこに荘献の立派な墓を建てている。とても親孝行だった彼の行動は、多くの人の感動を呼んだ。(ページ3に続く)
危篤になる前のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は何を語ったか
危篤になる前のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は何を語ったか | 朝鮮王朝オッテヨ
1800年6月、正祖の体調が悪化した。それでも彼は、薬を調合する現場を自ら視察している。彼自身が薬について詳しかったこともあるが、おそらく毒殺されることを極度に警戒していたものと思われる。
英祖(ヨンジョ)と正祖(チョンジョ)!激動の朝鮮王朝史8
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1674年に即位した19代王・粛宗(スクチョン)は、商業の活性化をはかり庶民の生活向上に成果を発揮した。しかし、女性問題で度々トラブルを起こしている。
イ・サンは本当に毒殺されたのか
イ・サンは本当に毒殺されたのか | 歴史カン・ヒボン
朝鮮王朝の22代王・正祖(チョンジョ)は、ハングルを創製した聖君・世宗(セジョン)と並ぶほどの名君と評価されている。何よりも、頭脳明晰で学者顔負けの博識だった。彼はドラマ『イ・サン』の主人公としてもよく知られている。
『イ・サン』が描いた正祖(チョンジョ)と洪国栄(ホン・グギョン)の関係は真実?
『イ・サン』が描いた正祖(チョンジョ)と洪国栄(ホン・グギョン)の関係は真実? | 歴史カン・ヒボン
ドラマ『イ・サン』では正祖(チョンジョ)の名君ぶりがたっぷりと描かれたが、その正祖を補佐して活躍したのが洪国栄(ホン・グギョン)だった。しかし、2人は最後に悲劇的な結末を迎えてしまうのだが……。



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