太宗が行なったもう1つの政策
太宗が在位中に特徴的な政策を行なっている。それが、「崇儒排仏」だ。文字通り、儒教を崇拝して仏教を排除する政策である。これを行なった理由は2つある。1つは、仏教寺院が政治に介入し過ぎたことにより、国政を乱された高麗のようになりたくなかったからで、もう1つは「人間の序列を認める儒教のほうが、厳しい身分制度に合っている」と太宗が判断していたからだ。現在の韓国で、仏教寺院が市中ではなく山の中腹にあるのは、このときに追われた名残である。
太宗は、王になる前と王になった直後に、大きな問題を起こしている。その反面、朝鮮王朝の基礎作りに邁進するなどの功績を残している。その後、太宗は三男の忠寧に王位を譲り、後見人として王権の行く末を見守って1422年に世を去った。
文=康 大地(コウ ダイチ)
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