もしも延齢君が長生きしていたら
英祖は1694年に生まれているが、5歳下の異母弟が延齢君(ヨンニョングン)である。延齢君の母は粛宗(スクチョン)の側室だった榠嬪(ミョンビン)・朴(パク)氏だった。
『テバク』の第8話に、粛宗が延齢君をとても可愛がる場面が出てくる。気難しい粛宗も延齢君といるときは別人のようだった。
これも史実に合っている。
というのは、粛宗は張禧嬪(チャン・ヒビン)が産んだ景宗や淑嬪・崔氏が産んだ英祖よりも、延齢君を特別に可愛がっていた。世子は景宗であったが、粛宗は延齢君に替えたいと願っていたふしがある。
実際、延齢君はまれにみる秀才で、同時に孝行息子でもあった。粛宗にとっては、景宗や英祖よりも延齢君が頼もしく思えたことだろう。
『テバク』の第7話から第8話が描いている時期は、1716年頃と思われる。そうだとすると、当時の年齢は景宗が28歳、英祖が22歳、延齢君が17歳ということになる。粛宗の次の王位を狙う争いは激しくなることが予想された。
しかし、3年後に粛宗にとって衝撃的な出来事が起こる。延齢君が1719年にわずか20歳で早世してしまったのである。(ページ3に続く)