朝鮮通信使

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朝鮮通信使

朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔6〕

18世紀末から財政難にあえいでいた徳川幕府は、莫大な経費がかかりすぎる朝鮮通信使の応接の改革に乗りだした。その結果、経費を少しでも軽減するために、12回目にして初めて文化8年(1811年)の朝鮮通信使を対馬で応接している。徳川幕府の崩壊19...
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朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔5〕

1719年の朝鮮通信使は、江戸時代の全12回の中で9回目の使節であった。徳川吉宗の襲職祝賀のために訪れており、総人員は475人にのぼっていた。このときの朝鮮通信使の製述官が申維翰(シン・ユハン)であり、彼は日本紀行文として名高い『海游録』を...
朝鮮通信使

朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔4〕

儒教は格式と序列を重んじる。中でも朝鮮王朝が国教にしていた朱子学(儒教の一学派)は序列主義が強かった。その朱子学を政治思想としていた日本と朝鮮は、互いの外交においても、自国なりの朱子学的観念にこだわった。そのために、朝鮮通信使の「礼」や「接...
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朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔3〕

朝鮮通信使による日朝交流の中で、中心的な役割を果たしたのが対馬藩であった。朝鮮通信使招聘の外交交渉もすべて対馬藩を通して行なわれていたし、朝鮮通信使が来日したときは、対馬から江戸までの往来もすべて対馬藩が先導役を担った。対馬藩の尽力なくして...
朝鮮通信使

朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔2〕

朝鮮通信使は、国書を交換するために来日した外交使節団であると同時に、日朝の文化交流を活発にするための文化使節団としての側面をもっていた。むしろ、文化交流の面で果たした役割のほうが大きいともいえるほどだ。異国文化に接する機会朝鮮通信使には儒学...
朝鮮通信使

朝鮮通信使(世界記憶遺産)の歴史〔1〕

朝鮮通信使は、徳川幕府と朝鮮王朝の善隣友好関係を象徴する使節であり、江戸時代を通じて合計12回にわたって来日している。そのうちの10回は江戸に入府して、盛大に国書の交換が行なわれた。その儀式は幕府にとって「最高の格式」で取り行なわれており、...
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世界遺産となった朝鮮通信使とは何か

ユネスコの「世界の記憶」に、日韓の団体が共同で申請していた「朝鮮通信使に関する記録」が選ばれた。この朝鮮通信使とは、歴史的にどんな存在なのだろうか。友好の証であった使節の概略を見てみよう。第1回目は1607年朝鮮通信使は、徳川幕府と朝鮮王朝...
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