大人気となった『暴君のシェフ』で燕山君(ヨンサングン)を演じたイ・チェヨンには、従来の時代劇にはない鮮烈な印象があった。しかも、演じているのは典型的な暴君なのである。そのギャップが極端だった。
史実の燕山君はどういう人物だったのだろうか。生まれたのは1476年。第9代国王である成宗(ソンジョン)の長男として誕生した。しかし、彼の幼少期は決して幸福なものではなかった。実母の愛情を一切知らずに育ったのである。
母親の斉献(チェホン)王后は、非常に嫉妬深い女性であった。夫の成宗が自分以外の側室を寵愛することに我慢がならず、ついには宮中に呪術を持ち込むという禁忌を犯してしまう。結果として彼女は王宮から追放された。
心を病んだ彼女は、関係修復のために訪ねてきた成宗の顔に爪で傷をつけてしまう。王の龍顔を傷つけることは大罪である。彼女は王妃の座から完全に引きずり下ろされ、最終的に毒を賜って死罪となった。
成宗は大きな葛藤を抱えた。しかし、長子相続という強固な原則を優先させたのである。周囲からの猛烈な反対を押し切り、罪人の子である燕山君を次期国王に指名した。
【歴史人物紹介:成宗(ソンジョン)】 朝鮮王朝の第9代国王である。儒教の理念に基づく法典である「経国大典」を完成させた。国家の統治システムを確立した名君として名高い。しかし、王室内の女性問題では大きな禍根を残した。
幼少期に隠された残酷な素顔
燕山君の性格は、幼い頃から異常性を帯びていた。彼の冷酷で執念深い本性を示す逸話がいくつも記されている。
ある日、成宗は庭先で遊ぶ少年時代の燕山君を呼び寄せた。その際、成宗が大切に飼育していた鹿が近づいてきた。鹿は親愛の情を示し、燕山君の衣類や手の甲をなめた。しかし、燕山君は違った。急に馴れ馴れしくされたことに激怒した。そして、父の目の前であるにもかかわらず、その鹿を力任せに蹴り飛ばしたのである。
また、彼の鋭い刃は教育係にも向かった。次期国王に帝王学を授けるため、有能な高官が厳格な指導を行った。燕山君はこの厳しさを深く恨んでいた。王として即位した直後、彼はかつての恩師を死刑に処している。自尊心を傷つける者は絶対に許さない。そんな傲慢な人格がすでに形成されていたのである。
1494年、成宗がこの世を去った。それに伴い、燕山君は第10代国王として即位する。ここから暗黒の時代が幕を開けた。
燕山君は幼い頃から学問を極端に嫌った。そのため、道徳や礼儀を重んじる儒教的な官僚たちを毛嫌いしていた。この王の心理を巧みに利用する臣下が現れた。「記録係たちが、先祖である第7代国王の世祖(セジョ)を侮辱する文章を残しております」と嘘の告げ口をしたのである。
燕山君はこの言葉を鵜呑みにした。真実を確かめることもせず、無実の役人たちを次々と捕縛した。彼らから官職を奪い取り、ためらうことなく首をはねたのである。
【キーワード解説:戊午士禍(ムオサファ)】 1498年に発生した言論弾圧事件である。燕山君が、自らに批判的な新興の儒教官僚勢力を一網打尽にした。これにより、王権に対する健全な批判機能は完全に失われた。
酒池肉林と文字の弾圧
邪魔な政敵を排除した燕山君は、もはや誰の忠告も聞かなくなった。国家の最高学府であるはずの成均館(ソンギュングァン)から学者を追い出した。そして、そこを巨大な宴会場に改造したのである。全国から美しい女性を集め、連日のように酒と肉にまみれた狂乱の宴を開いた。
彼の暴政は以下の通りである。
- 国家予算の私物化と過酷な税の取り立て
- 直言を行う忠臣たちの不当な解任と処刑
- 民衆の生活を顧みない度重なる狩猟や遊興
- 言論統制による道徳観念の完全な破壊
このような悪政に対し、民衆の不満は爆発寸前となった。市中のあちこちに、ハングルで書かれた壁書が貼り出された。「王は酒と女に狂った最低の人間だ」「無能な暴君である」といった内容である。これを知った燕山君は激怒し、庶民がハングルを学習・使用することを全面的に禁止してしまった。
混乱を極める王宮に、さらなる悲劇の火種が持ち込まれた。出世を狙う臣下が、重大な秘密を暴露したのである。それは、宮中で絶対に語ってはならないタブーであった。実母である尹氏の悲惨な死の真相である。それまで、燕山君はこの事実を全く知らされずに育っていた。
破滅への道
真実を知った燕山君の衝撃は計り知れない。怒りと悲哀が入り混じり、彼は夜通し声を出して泣き続けた。そして、涙が乾いた後に彼が取った行動は、凄惨な復讐劇であった。
まず、亡き母を王妃の地位に復権させた。これは父の決定を真っ向から否定する反逆的な行為である。当然、宮中の重臣たちは強く反発した。
しかし、王の耳に言葉は届かなかった。彼は母の死に関与した者、それを見過ごした者、復権に反対する者を次々と捕らえた。身分を問わず、手当たり次第に斬首したのである。この復讐の刃は、すでにこの世にいない者にも向けられた。墓を掘り起こし、遺体の首を斬り落とすという異常な刑罰まで執行したのである。
【キーワード解説:甲子士禍(カプチャサファ)】 1504年に起きた二度目の大粛清事件である。母の死の真相を知った燕山君が、かつての父の側室や多くの重臣を大量虐殺した。朝鮮王朝の歴史上、最も凄惨な事件の一つとして記録されている。
即位から11年の歳月が流れた。王の残虐な振る舞いはエスカレートする一方であった。国家の存亡に強い危機感を抱いた重臣たちは、ついに立ち上がった。彼らは武力によって宮殿を制圧し、燕山君から王の証である玉璽を奪い取ったのである。
代わって王座に就いたのは、彼の異母弟である。これが第11代国王の中宗(チュンジョン)である。
絶対的な権力を失った燕山君は、江華島(カンファド)へと流刑に処された。王としての威厳は完全に失われ、誰からも顧みられることはなかった。そして1506年、孤独の中でひっそりと息を引き取ったのである。わずか30年という、あまりにも短く、血塗られた生涯であった。
画像=tvN
文=康 大地(こう だいち)






