仁顕王后(イニョンワンフ)はどんな王妃だったのか【薄幸】傑作『トンイ』で描かれた聖女

歴史重要人物
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時代劇『トンイ』で美しく清楚な女性として登場していた仁顕王后(イニョンワンフ)。彼女の生涯を振り返ってみよう。

彼女は1667年に生まれた。数奇な運命が大きく動き出したのは、19代国王である粛宗(スクチョン)の最初の正妃、仁敬(インギョン)王后が1680年にこの世を去ったときだ。最高位である正妃の座が空席となったため、国母としての役割を担う新たな女性が強く求められていた。

1681年、名門の家柄から白羽の矢が立ったのが仁顕王后だ。彼女は、二番目の正妃として華やかな王宮へと迎え入れられた。仁顕王后は、天性の温和さと深い慈愛を兼ね備えた女性だ。誰に対しても優しく接し、争い事を極端に嫌う純粋な心の持ち主であった。だが、皮肉なことに、その底知れぬ善良さが、後に彼女自身を深く傷つける鋭利な刃となってしまうのである。

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姑の警告と無邪気な情け

当時の王宮には、野心に満ちた妖艶な女官が存在していた。のちに歴史にその名を深く刻む張禧嬪(チャン・ヒビン)である。粛宗は彼女の魅力にすっかり溺れていた。

しかし、粛宗の生母である明聖(ミョンソン)王后は、張禧嬪の瞳の奥に潜む異常なまでの権力欲と、底知れぬ執念を即座に見抜いていた。愛息の将来と国の安泰を深く憂慮した母は、ただちに強権を発動する。危険な存在である張禧嬪を王宮から追放したのである。

ところが、ここで仁顕王后が信じられない行動に出る。夫である粛宗が、寵愛する女性を失ってふさぎ込んでいる姿を見るに見かねたのだ。彼女は姑である明聖王后の御前へと赴いた。そして、「どうか彼女を宮中へ呼び戻してあげてほしい」と懇願したのである。明聖王后は、嫁のあまりにも世間知らずなお人好しぶりに呆れ果てた。当然ながら、この甘い願いを冷酷に退けた。追放の措置は厳格に維持されたのである。

しかし1683年、明聖王后が41歳で急死した。すると、仁顕王后は自らの手で張禧嬪を再び王宮へと呼び戻してしまった。この優しさが、結果として致命的な失策となる。

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恩を仇で返す悪女

王宮への帰還を果たした張禧嬪の態度は、仁顕王后の淡い期待を無残に打ち砕くものだった。恩人に対して感謝の言葉を述べるどころか、不遜な振る舞いを繰り返したのである。自らの優しさが完全に裏目に出たことを、仁顕王后はようやく悟った。しかし、もはや時計の針は戻せなかった。

ついに張禧嬪は、待望の男児を出産する。粛宗の長男である。強大な武器を手に入れた野心家は、さらなる謀略を巡らせた。王の寵愛と世継ぎの母という絶大な権威を盾にして、正妃を容赦なく追い詰めたのである。その結果、粛宗の心は完全に仁顕王后から離れてしまった。1689年、仁顕王后は無惨にも王妃の座から引きずり下ろされる。

身分を剥奪され、廃妃として王宮を追放されるという、どん底の悲哀を味わうこととなった。みすぼらしい衣服に身を包み、質素な隠遁生活を送る日々は、仁顕王后の心身を静かに削り取っていった。

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移り気な王の心

最大の邪魔者を排除した張禧嬪は、ついに空席となった正妃の座へと上り詰めた。一介の女官から国母へと飛躍した彼女の傲慢さは、もはや誰にも止められなかった。我が世の春を謳歌し、絶対的な権力をほしいままに振りかざした。

しかし、栄枯盛衰は世の常である。永遠に続くかと思われた彼女の栄華も、徐々に影を潜めていく。粛宗の移り気な愛情が、今度は別の女性へと向かったからだ。その女性こそ、のちにドラマ『トンイ』の主人公として広く知られることとなる淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)である。

淑嬪・崔氏は、非常に情に厚い人物だった。かつて自分に優しく接してくれた仁顕王后への深い恩義を、決して忘れてはいなかった。彼女は粛宗に対し、不遇の生活を送る廃妃の復権を涙ながらに訴え続けたのである。

自らの身勝手な判断で罪なき妻を追い出し、毒婦をのさばらせた己の愚かさを王も恥じたのかもしれない。この時、すでに張禧嬪に対する熱情が冷め切っていた粛宗は、淑嬪・崔氏の切実な訴えをすんなりと聞き入れた。こうして、一度は王妃の頂に立った張禧嬪であったが、再び側室へと降格させられるという屈辱を味わうこととなった。

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2人の悲劇的な終幕

1694年、仁顕王后は奇跡的な王妃への復帰を果たした。だが、王宮に真の安息の日が訪れることはなかった。彼女には王位を継ぐべき自らの男児がいなかったのである。そのため、すでに王の長男を育て上げている張禧嬪に比べ、その政治的な立場は常に危ういままだった。

一方、側室へと転落した張禧嬪の心には燃え盛るような嫉妬と激しい憎悪が渦巻いていた。「もし王妃が新たに男児を産めば、我が子の王位継承が根底から覆されてしまう」

その焦燥と執着が、彼女を恐ろしい狂気へと駆り立てた。張禧嬪は自身の居室のすぐそばに秘密の神堂を建設し、怪しげな祈祷師たちを招き入れた。そして、仁顕王后を呪い殺すための凶悪な儀式を繰り返した。

この呪詛が直接的な死因となったのかは、今となっては医学的に証明する術はない。しかし、長年の心労で極限まですり減っていた仁顕王后の身体は、確実に病魔に蝕まれていた。そして1701年の8月、彼女は波乱に満ちた生涯を静かに閉じた。

事態が大きく動いたのは、その直後だった。淑嬪・崔氏が、張禧嬪によるおぞましい呪詛の事実を暴き、粛宗へと告発した。これを知った粛宗は激しい怒りに打ち震えた。かつて愛した女性に対して一切の情けをかけることなく、死罪を宣告したのである。同年10月、ついに張禧嬪は毒薬を賜り、刑に処されて絶命する。

結局、王宮を真っ二つに割るほどの激しい権力闘争を繰り広げた2人の女性は、わずか2カ月という極めて短い間に、相次いでこの世を去った。華やかであるべき宮廷の裏側には、権力と愛憎が交錯して、悲惨な結末だけが残された。

画像=MBC

文=康 大地(こう だいち)

康大地

2008年から韓流専門誌で執筆と編集を長く担当。特に『愛してるっ‼韓国ドラマ』誌において、韓国ドラマのレビュー、韓流イベントの取材、歴史人物解説記事の執筆などに取り組んできました。現在は韓流サイト『ロコレ』で企画・取材・執筆・編集を精力的に行っています。韓国ドラマ以外の趣味は居酒屋めぐり、温泉探訪、妖怪研究などです。

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