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タグ:紀行
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追憶の済州島紀行6「尊重されてきた三姓穴」
三姓穴の聖域化は、朝鮮王朝時代の1526年、当時の李壽童牧使の時代から推進された。穴のまわりに石で垣根をつくり、北側に紅門と碑を建て、春と秋には三姓を受け継いだ一族によって祭祀を行ない、11月には島民… -
追憶の済州島紀行5「三姓穴の穴が見たい」
三姓穴の案内によると、石柵に囲まれた芝生の庭の中に3つの穴があるという。ところが、石柵の前で何度も爪先立ちしたが、穴があるとされる、ロープで示された囲いの中をまったく窺い知ることができなかった。他の人… -
追憶の済州島紀行4「ここは『食の島』」
眈羅巡礼図を持っていたのは、陸地(済州島の人は朝鮮半島のことをこう言う)に住んでいた李衡祥の子孫だった。その図を3億ウォンで済州市が買い取り、それを基に各堂を復元したというわけだ。おかげで、李衡祥牧使… -
追憶の済州島紀行3「済州牧官庁の由来」
観徳亭のとなりには、朝鮮王朝時代の施設を復元した済州牧官庁という史跡地があった。そこは、耽羅国の時代から島を統括する政治を司った中心地だったようだ。実際、何棟もの堂が新しく復元されていて見栄えがよかっ… -
追憶の済州島紀行2「トルハルバンの起源説」
像とは本来、威厳をもって造られるものであろう。しかし、トルハルバンにかぎっては威厳よりも愛嬌が先行している。これぞ、古来陽気な済州島人の諧謔精神の表れか。それでも、城門の前に建てられたのであるから、厳… -
追憶の済州島紀行1「象徴的なトルハルバン」
済州空港から済州島に入って最初に向かったのは、朝鮮王朝時代の済州島を代表する建物だった観徳亭である。今も、車の往来が激しい済州市の中心部に古めかしく存在している。堂々とした屋根瓦と、梁に描かれた時代絵… -
康熙奉の「韓国のそこに行きたい紀行」珍島8/バスの停留所
雲林山房にいたら、そのうち中年男性だけの団体客がやってきて、大声で冗談を言い合っていた。総勢で20人ほど。顔が真っ赤な人が多く、バスの中で賑やかに酒盛りを楽しんでいたことをうかがわせた。 [ca… -
康熙奉の「韓国のそこに行きたい紀行」珍島7/雲林山房
雲林山房に入ると、広い庭園があり、その奥に展示館があった。この雲林山房を築いたのは、珍島出身で朝鮮王朝末期の優れた教養人だった許錬(ホ・リョン/1808~1893年)である。 [caption … -
康熙奉の「韓国のそこに行きたい紀行」珍島6/珍島アリラン
観光案内所のアジュンマは息を切らしながら私のところに戻ってきた。「あのタクシーの運転手さんは、私の知り合いなのよ。雲林山房まで乗せてくれるそうよ。下りるとき3000ウォンだけ払ってね。それで話はついて… -
康熙奉の「韓国のそこに行きたい紀行」珍島5/観光案内所のアジュンマ
となりで屋台を切り盛りしている40代の女性が近寄ってきて、「少し休んでいけ」と私に声をかけた。すると、観光案内所のアジュンマは「その必要はないから」と冷たくあしらった。私としては屋台でゆっくり酒を飲み…