タグ:歴史

  • 光海君と仁祖のライバル物語4「大義名分」

    綾陽君(ヌンヤングン/後の仁祖)は仁穆王后の怒りがあまりに大きいので、その場を退散して、また改めて出掛けた。仁穆王后も少し頭を冷やしたようで、「大義名分を出すには条件がある。あの化け物の首を取ってまい…
  • 光海君と仁祖のライバル物語3「怨恨」

    光海君は「明は滅亡して後金の時代になる」と予測していた。「明に肩入れするとうちの国もやられてしまう」ということで、やむを得ず援軍を出すときは最小限にして、後金に対して「事情があって明に援軍を出していま…
  • 光海君と仁祖のライバル物語2「外交」

    宣祖があと5年ほど生きていたら永昌大君が王になっていた可能性が高い。だからこそ、光海君の一派が毒殺したのではないかと言われている。光海君の側近には、悪女として有名な金介屎(キム・ゲシ)という女性がいた…
  • 光海君と仁祖のライバル物語1「即位」

    朝鮮王朝の1592年というと朝鮮出兵であった。豊臣軍が攻めてきた年だ。そのときの王は、14代王・宣祖(ソンジョ)だった。それまでの13代目までは、すべて国王の正室から生まれていて、正統的な王位継承者な…
  • 150年間に日韓の外交の節目で何が起こったか

    順に、日韓外交の歴史をさかのぼってみよう。富国強兵に突き進んだ明治政府と鎖国を続けた朝鮮王朝の間で1876年2月26日に締結されたのが、日朝修好条規(江華条約)であった。 不平等な日朝修好条…
  • 日韓の二千年の歴史20/国交回復の動き

    1598年11月、最後に島津軍がかろうじて対馬にたどりつき、豊臣軍は完全に日本に引き揚げてきた。7年近くにわたった戦乱の影響はあまりにも大きかった。朝鮮半島は荒廃し、多くの人命が奪われた。 …
  • 日韓の二千年の歴史19/慶長の役

    明と豊臣軍の間で続いていた和睦交渉の結果、最終的に豊臣秀吉は次のような条件を明に突きつけた……「明の皇帝は皇女を日本の天皇の后にする」「日本と明の間で途絶えている通交を再開させる」「朝鮮半島の中で北の…
  • 日韓の二千年の歴史18/和議の提案

    豊臣秀吉の大陸制覇の野望を早くから察知していた明は、豊臣軍の攻撃を知ってからもしばらく様子をうかがっていたが、ついに援軍を出した。しかし、1592年7月に平壌(ピョンヤン)で豊臣軍を駆逐しようとした明…
  • 日韓の二千年の歴史17/文禄の役

    日本が本格的な戦国時代に入ると、日本と朝鮮半島の交流も完全に途絶えてしまった。日本は国内が騒乱状態となって外交どころではなくなったし、朝鮮王朝は太平の世が続いて、感覚的にぬるま湯につかっているも同然だ…
  • 日韓の二千年の歴史16/室町時代

    1333年に鎌倉幕府が倒れ、日本の政権は室町幕府に移っていく。朝鮮半島では1392年に高麗王朝が滅び、代わって朝鮮王朝が誕生した。この朝鮮王朝は建国当初から倭寇の狼藉に苦しめられていた。 [ca…

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

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