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カテゴリー:紀行・対談
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日本のコリアをゆく(百済寺跡・鬼室神社編3)
百済(ペクチェ)の復興をめざした軍の中で、トップ2の豊璋と福信が内紛を起こした。結局、福信を殺した豊璋はすべての権力を自分のものにしたのだが、軍事的な指導者を失った百済復興軍の痛手は大きかった。そのこ… -
日本のコリアをゆく(百済寺跡・鬼室神社編2)
時は660年である。百済(ペクチェ)の義慈(ウィジャ)王は、在位が長くなって堕落した。そんな王のもとで国力が衰えるのも仕方がなく、新羅(シルラ)・唐の連合軍が攻めてきたときに、百済はなすすべがなかった… -
日本のコリアをゆく(百済寺跡・鬼室神社編1)
百済王神社に向かう 大阪と京都を結ぶ京阪電車。 車窓からの景色もよく、私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)が好きな私鉄の一つだ。 その京阪電車の特急に大阪市内の京橋駅から乗って京都方面に向かうと、最初の… -
日本のコリアをゆく(広島・鞆の浦編3)
鞆の浦の繁栄 1719年、第9回目の朝鮮通信使に製述官として同行した申維翰(シン・ユハン)は、のちに『海游録』という書物を残している。 その翻訳版は、平凡社東洋文庫(姜在彦訳注)に収められていて、それを読むと… -
日本のコリアをゆく(広島・鞆の浦編2)
「日東第一形勝」 今でも日本の各地に朝鮮通信使の足跡が残っているが、その中でも鞆の浦の福禅寺は特に重要である。なぜなら、一行はここから見た瀬戸内海の景観を愛し、様々な書を残しているからだ。 その文面か… -
日本のコリアをゆく(広島・鞆の浦編1)
台地の上の福禅寺 私は30代半ばに大学で歴史を学んだとき、卒論で朝鮮通信使の研究をした。その際、江戸時代の鎖国体制を以前から間違って捉えていたことを察した。 それまでは、長崎で限定的にオランダと貿易を… -
対談「最近の韓国はどうなっているか」(康熙奉・慎武宏3)
第3回 黙っていない韓国人 活性化する映画界 康「映画はどちらかと言うと、今までの韓国社会のしがらみの中でお金やスタッフを集めたりしていますので、人間関係が濃厚に韓国的だと思います」 慎「すごくエネルギ… -
対談「最近の韓国はどうなっているか」(康熙奉・慎武宏2)
第2回 変化する韓国 成長の過程で失ったものも多い 康「日本と韓国のメディアを比較してみると……」 慎「韓国のメディアからすると、日本の週刊誌ジャーナリズムにいっぱい驚くこともあります。特に写真週刊誌や… -
対談「最近の韓国はどうなっているか」(康熙奉・慎武宏1)
第1回 スポーツの取材現場はどう変わったか 今回のお相手は韓国事情に詳しい慎武宏(シン・ムグァン)さんです。 慎武宏(シン・ムグァン) 1971年東京都台東区生まれの在日コリアン3世。和光大学人文学部文… -
日本のコリアを行く(埼玉・高麗編3)
[caption id="attachment_726" align="aligncenter" width="225"] 高麗神社の鳥居[/caption] 高麗神社 若光にゆかりがある場所は聖天院だけではない…