済州島の旅が続いていく2「ハメルという人」

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見渡すかぎりすばらしい景観だけに、観光客が集まってくるのもよくわかる。私はまずヨンモリ海岸へ下りて行った。岩が波に浸食されて奇観をおりなしている。この凄まじい岩の変形ぶりは、人間の頭の中では到底思いつかない。まさに自然は芸術である。




「朝鮮幽囚記」という著作

ちょうど満潮時で波しぶきが高く舞い上がり、修学旅行に来ている高校生たちが波から逃げまどいながら歓声を上げていた。一番楽しい盛りで友だちと済州島に来たら本当に楽しいだろうなあ、と羨ましくなった。
奇岩を抜けて断崖の上に出ると、その先にハメルの記念碑があった。
しかし、その方向に歩いていく人は皆無であった。いかに忘れられた記念碑であるかがうかがえた。
とはいえ、「前にヨンモリ海岸、後ろに山房山」という立地条件はハメルの記念碑を建立する場所としては絶好のように思えた。
人はなぜハメルに関心がないのか。済州島の存在を17世紀のヨーロッパへ(ひいては世界へ)伝えた人物なのに……。
済州島は孤島とはいえ、日本、朝鮮半島、中国大陸の中間に位置していて、本来なら海上交通の要衝にもなりうるところだった。嵐に巻き込まれて難破した船が島に打ちつけられることがあっても不思議はない。




実際、17世紀半ば、漂流の末に済州島に流れ着いたのがオランダ人のヘンドリック・ハメルである。
彼は後に「朝鮮幽囚記」という著作で、その経緯を詳しく記している。
異国の民が朝鮮王朝の土地に漂着するとどういうことになるのか。そのことがよくわかって興味深い。
ハメルが乗ったデ・スペルウェール号が長崎に向けて台湾を出航したのは、1653年の7月末であった。
途中、何度も暴風に遭遇し、結局船は8月15日に済州島の沖合で難破した。乗っていたのは64名だったが、生きて済州島の土を踏めたのは36名にすぎなかった。

文=康 熙奉(カン・ヒボン)

済州島の旅が続いていく1「ここは山房山」

済州島の旅が続いていく3「不運な漂着民」

済州島の旅が続いていく5「かつて漂着したオランダ人」

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