英祖と思悼世子の親子関係の正体4「息子を餓死させた英祖の後悔」

このエントリーをはてなブックマークに追加

一番長生きした王

英祖は、李命彬が文章に記した王命を読むように言った。しかし、政権内部でも強い力を持っていた洪麟漢がそれをさせなかった。一方の祘には、わずかな家臣がいるだけで王宮での立場は弱かったので、洪麟漢を批判することはできなかった。
祘は自分が王になれるかどうかの瀬戸際で、「私は代理で政治を行なうことに関しては辞退しますが、王命が文書になっていればそれに対して上奏できるので、文書は作らせてください」と言った。
しかし、洪麟漢は何も答えずに文書の作成を妨害し続けた。その様子を見た英祖は、重臣たちを見渡して、祘に巡監軍(スムガングン/王を守る軍隊)を付けることを宣言した。衝撃を受けた重臣たちはこぞって反対するが、英祖が「反対する者は拘束する」という脅しをかけたことで、重臣たちは一変して保身に走った。




こうして、祘が代理で政治を行なうことが正式に決まった。英祖は、祘が王位に就く道を自らの執念で切り開いたうえで、1776年3月5日に82歳で世を去った。本当に堂々としていて名君と評される人生だった。だが、思悼世子を餓死させたことは最大の過ちであった。英祖はそのことを死ぬまで後悔したことだろう。

文=康 大地〔コウ ダイチ〕

英祖と思悼世子の親子関係の正体1「老論派と少論派の派閥闘争」

英祖と思悼世子の親子関係の正体2「王となった英祖を悩ませた噂とは?」

英祖と思悼世子の親子関係の正体3「父と息子の間に生まれた確執」

『ヘチ』でチョン・イルが華麗に扮した英祖はどんな国王だったのか(前編)

英祖(ヨンジョ)の人生がよくわかるエピソード集!

固定ページ:
1

2

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る