日韓の二千年の歴史25/善隣関係の終焉

このエントリーをはてなブックマークに追加

朝鮮王朝が激怒

朝鮮王朝も、凶作が続いていたにもかかわらず国王の外戚が政治を牛耳り、国内が混乱するばかりだった。
これでは日本に目を向ける余裕すらない。
こうして、長く続いた善隣関係は完全に途絶えてしまった。
そんな状況の中で、先に倒れたのが徳川幕府だった。1867年10月、15代将軍・徳川慶喜は大政を朝廷に奉還した。
264年も続いた徳川幕府が終焉したのである。
翌年早々に戊辰戦争が起こり、日本国内が内乱状態になったが、9月には会津若松城が落城し、旧幕府軍はほぼ一掃された。
徳川幕府に代わって誕生した明治維新政府は、1868年10月に「大政が変わったことを朝鮮王朝に伝えよ」と対馬藩に命じた。




その12月、対馬藩の使節が朝鮮王朝に明治天皇の国書を渡した。その文面を読んだ瞬間に朝鮮王朝側が激怒した。
絶対に許せない文字が文面にあったからだ。
それは、皇帝を意味する「皇」と、皇帝の命令を意味する「勅」である。
(ページ3に続く)

日韓の二千年の歴史26/政変に揺れる朝鮮王朝

日韓の二千年の歴史1/海を渡る人々

韓国はなぜ日本の植民地になったのか(前編)

韓国は日本の植民地時代をどう生きたのか(前編)

韓国はなぜ分断国家になったのか

日本に住んだ韓国女性が驚いたことは?

固定ページ:
1

2

3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る