光海君と仁祖のライバル物語1「即位」

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朝鮮王朝の1592年というと朝鮮出兵であった。豊臣軍が攻めてきた年だ。そのときの王は、14代王・宣祖(ソンジョ)だった。それまでの13代目までは、すべて国王の正室から生まれていて、正統的な王位継承者なのだが、宣祖は側室から生まれた子供だったので立場が弱かった。

写真=韓国MBC『華政』公式サイトより

朝鮮出兵での明暗

朝鮮王朝は大変厳しい身分社会で、本家で生まれた人と外で生まれた人の格差は甚だしかった。王家も同じなのだが、正室に子供がいなかったので、宣祖が初めて側室から生まれた王となった。
宣祖は「自分は必ず正室から後継ぎを出したい」と願った。
しかし、最初の正室から子供は生まれなかった。その一方で、側室からはどんどん生まれた。その二男が光海君(クァンヘグン)で、長男が臨海君(イメグン)である。
この2人は、朝鮮出兵の際に徹底的な違いが出てしまった。
臨海君は、ゲリラ軍を組織しようと出かけたが、加藤清正の軍の捕虜になり、釈放された後も、そのことに屈辱を感じて酒浸りになった。一方の光海君は、そういう義勇軍で成果を上げていた。




立場上では、長男のほうが王位継承権で有利だが、世子(セジャ)に指名されたのは、臨海君ではなく光海君だった。
(ページ2に続く)

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