『華政(ファジョン)』解説!光海君(クァンヘグン)を支えた大北派とは?

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韓国時代劇の『華政(ファジョン)』を見ていると、「大北(テブク)派」という言葉がよく出てくる。これは朝鮮王朝の政治を主導した派閥の名称なのだが、当時の派閥の構図はどのようになっていたのだろうか。

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当初は東人派と西人派

朝鮮王朝の病巣と言われたのが「党争」だ。これは、政治を動かす人たちが派閥を形成して、常に激しい主導権争いをしたことをさしている。
党争が激化したのは1575年からである。ときは14代王・宣祖(ソンジョ)の時代だった。




朝鮮王朝の官僚たちが東人派と西人派に分かれて争った。
東人派の指導者が都の東側に住み、西人派の指導者が西側に住んだことから派閥の名がそのようになった。(ページ2に続く)

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