日韓の二千年の歴史19/慶長の役

このエントリーをはてなブックマークに追加

豊臣軍の撤退

1598年1月になってようやく毛利秀元の軍勢が加勢に来た。彼らは、蔚山城を包囲している朝鮮王朝と明の連合軍を背後から攻め、加藤清正の軍勢を蔚山城から救い出した。それでも豊臣軍の苦戦は免れなかった。
豊臣軍の間に厭戦気分が広がったが、戦を終結させたのは「秀吉の死」だった。彼は1598年8月に世を去り、もはや豊臣軍が朝鮮半島にいる意味もなくなった。
極秘のうちに撤退指令が出された。豊臣軍の各大名が朝鮮半島を引き払うとき、李舜臣に率いられた水軍は執拗に豊臣軍を攻めた。そのあおりで、全羅道の順天(スンチョン)にいた小西行長軍の退却路が完全に封鎖されてしまった。
「このままでは全滅が避けられない」




小西行長が悲嘆に暮れたとき、救いの神となったのが島津義弘だった。彼は慶尚道の露梁津(ノリャンジン)に朝鮮王朝の水軍を誘い込んだ。
この海戦で島津軍は大きな損害をこうむったのだが、逆に小西行長軍は順天から逃れることができた。
(次回に続く)

文=康 熙奉(カン ヒボン)

日韓の二千年の歴史20/国交回復の動き

日韓の二千年の歴史18/和議の提案

韓国はなぜ分断国家になったのか

日本に留学した韓国人がビックリするほど実感したことは?

ソウルに転勤となった日本人社員がホトホト困ったことは?

日本人が韓国に興味を持って留学した理由とは?

固定ページ:
1 2

3

必読!「ヒボン式かんたんハングル」

「韓流ライフ」というジャンルの中に、「ヒボン式かんたんハングル」というコーナーがあります。ここには、日本語と韓国語の似ている部分を覚えながら韓国語をわかりやすくマスターしていく記事がたくさん掲載されています。日本語と韓国語には共通点が多いので、それを生かして韓国語の習得をめざすほうが有利なのです。ぜひお読みください。

ページ上部へ戻る