張禧嬪(チャン・ヒビン)はワガママ粛宗(スクチョン)の犠牲者の1人!

このエントリーをはてなブックマークに追加

哀れな女性

1701年に仁顕王后が病死した。
その直後に、張禧嬪が祠(ほこら)をつくって仁顕王后を呪っていたことが発覚した。張禧嬪は普段から仁顕王后に不遜な態度で接し、その点では弁解の余地はないのだが、粛宗は臣下たちの猛反対にもかかわらず強引に張禧嬪を死罪にした。
臣下たちが反対したのは、張禧嬪が世子(セジャ/王の正式な後継者)の母だったからだ(仁顕王后には子供がいなかった)。やがて王になる世子の母を死罪にすれば、将来にわたってどんな禍根を残すことになるか。




それ以前にも、10代王の燕山君(ヨンサングン)が母の死罪を知って関係者を大虐殺したという過去があった。粛宗が、その悲惨な出来事を知らないはずがなかったであろうに……。
韓国時代劇『トンイ』では、柔軟な思考を持った優しい王として粛宗が描かれている。この描き方は韓国で粛宗の好感度をあげただろうが、「朝鮮王朝実録」を読む度に浮かび上がってくるのは、粛宗のわがままぶりである。
むしろ張禧嬪は、粛宗に翻弄(ほんろう)された哀れな女性、という言い方ができるかもしれない。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(19代王・粛宗編)

朝鮮王朝おもしろ人物列伝(張禧嬪編)

張禧嬪(チャン・ヒビン)はなぜ王妃になれたのか/朝鮮王朝秘話1

張禧嬪(チャン・ヒビン)を自害させたトンイの告発/朝鮮王朝秘話4

「張禧嬪(チャン・ヒビン)よりトンイが悪女!」と言える3つの根拠

ページ:
1 2

3

関連記事

  1. 【時代劇が面白い】なぜ燕山君は王になれたのか

  2. 大ヒット映画『徳恵(トッケ)翁主』の主人公はどんな女性?

  3. 英祖と思悼世子の物語3「自決の強要」

  4. 朝鮮王朝重大発言集1「粛宗が仁顕王后を廃妃にした」

  5. 仁粋大妃(インステビ)の人生は何だったのか

  6. 激動の中で国王はどう生きたか1「光海君の即位」

  7. 史実の『トンイ毒殺未遂事件』はどのように起こったのか

  8. 太宗(李芳遠)はどんな国王だったのか

  9. 世宗(セジョン)はどんな国王だったのか

PAGE TOP