朝鮮王朝おもしろ人物列伝(張禧嬪編)

時代劇の登場人物
ドラマ『張禧嬪』で主役を演じたキム・ヘス
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第26回 悪女として有名な張禧嬪

「朝鮮王朝3大悪女」の1人して有名な張禧嬪(チャン・ヒビン)。粛宗(スクチョン)の統治する時代に生きた彼女が、いったい何を理由に悪女と呼ばれるようになったのだろうか。

張禧嬪という人物

粛宗と張禧嬪が出会ったのは1680年である。彼女は、親戚が通訳官だったため、女官として宮中に出入りしていた。張禧嬪はかなりの美貌の持ち主で、粛宗も一目惚れするほどだ。しかし、「この女は、息子にとって危険な存在だ」と感じていた粛宗の母親である明聖(ミョンソン)王后によって、張禧嬪は王宮を追い出されてしまう。

彼女を寵愛していた粛宗は、母に「張禧嬪を王宮に戻してほしい」と頼み込むが、明聖王后はそれを許可しなかった。

一方、貧しい生活を送ることになった張禧嬪だが、明聖王后が1683年に亡くなると、粛宗の正室である仁顕(イニョン)王后によって王宮に戻ることができた。彼女は、王が気に入っている女官を近くにいさせてあげたいと思ったのだ。しかし、張禧嬪は仁顕王后に感謝するどころか、王の寵愛を受けていることを理由に、わがままに振る舞うようになった。

仁顕王后は自分の行なったことを後悔した。彼女は張禧嬪を呼び出して、ふくらはぎをムチで叩いた。明聖王后が張禧嬪を追い出した理由を悟った仁顕王后だが、その後、彼女の立場が不利になる出来事が起きてしまう。

1688年、張禧嬪が息子の昀(ユン)を産んだのだ。初めての息子の誕生を喜んだ粛宗は、生まれたばかりの昀を世子(セジャ)候補として元子(ウォンジャ)に指名しようとした。(ページ2に続く)

〔物語〕張禧嬪(チャン・ヒビン)がついに王妃に成り上がった日!

〔物語〕張禧嬪(チャン・ヒビン)がついに王妃に成り上がった日! | 朝鮮王朝オッテヨ
19代王・粛宗(スクチョン)は絶世の美女と評された張禧嬪(チャン・ヒビン)のとりこになり、彼女を側室にした。そして、張禧嬪は粛宗の長男を出産した。そうなると、粛宗は正室の仁顕(イニョン)王后を離縁する方向で動き始めた。

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した! | 朝鮮王朝オッテヨ
1680年、張禧嬪(チャン・ヒビン)が女官として宮中に入ってくると、その美貌がたちまち評判となって粛宗の目にとまった。そのとき、粛宗が19歳で、張禧嬪が21歳になっていた。

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか

粛宗(スクチョン)は張禧嬪(チャン・ヒビン)を死罪にするとき何を語ったか | 朝鮮王朝オッテヨ
一度は廃妃になりながら1994年に王妃に復帰した仁顕(イニョン)王后だったが、長く病に苦しみ1701年8月14日に亡くなった。その後に張禧嬪(チャン・ヒビン)が仁顕王后を呪詛(じゅそ)していたことが発覚し、粛宗(スクチョン)は激怒した。

悪女と言えば張禧嬪(チャン・ヒビン)/朝鮮王朝悪女列伝5

悪女と言えば張禧嬪(チャン・ヒビン)/朝鮮王朝悪女列伝5 | 朝鮮王朝オッテヨ
貧しい家庭に生まれた張禧嬪(チャン・ヒビン)は、女官として王宮で働けるようになった。美しい容姿を持つ彼女を一目見た19代王の粛宗(スクチョン)は、やがて彼女を自分の側室にした。そこから、張禧嬪は一気に頂上まで駆け登っていった。

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