果たして英祖(ヨンジョ)は誰の息子なのか/朝鮮王朝秘話6

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トンイこと淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)は1718年に亡くなり、粛宗(スクチョン)も1720年に世を去った。そして、張禧嬪が産んだ王子が20代王・景宗(キョンジョン)として即位した。




衝撃的な告発書

景宗には子供がいなかった。もし景宗が世を去れば、異母弟(淑嬪・崔氏の息子)が自動的に王位を継承する。
実際、景宗は即位して4年で世を去り、異母弟が後を継いで21代王・英祖(ヨンジョ)となった。
このとき、「英祖が兄を毒殺したのではないか」という噂が出て、国中が大騒動に巻き込まれる。
噂には根拠があった。




景宗が病床に臥せっているとき、主治医が「いけません」と反対したのに英祖は景宗にカニと柿と人参茶を差し出した。結局はそれらが病状を悪化させる原因になったと推定されている。
英祖は自分にとって都合の悪い噂を必死に打ち消すが、深刻な反乱が起きる。その反乱の告発書には「英祖は粛宗の子供ではない」「英祖が景宗を毒殺した」と書いてあった。まさに衝撃的な内容だったのである。
何をもって英祖が粛宗の息子ではないというのだろうか。
実は、2人はまったく似ていなかったという。(ページ2に続く)

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