親子で紙幣の肖像画
申師任堂に死期が迫ったのは47歳のときだった。
彼女は夫にこう頼んだ。
「私が死んでも、あなたは絶対に再婚しないでください」
この願いは当時として異例だった。妻に先立たれた夫は新しい妻を迎えるのが一般的だったからだ。
申師任堂は子供たちの将来を考えていたのだ。子供が継母とうまくいかない例は山ほどあった。
そんな子供たちのことを案じながら1551年に世を去った申師任堂。彼女の三男が李栗谷(イ・ユルゴク)だ。
朝鮮王朝の歴史に残る儒教の大家である。
彼は16歳で母と死別し、あまりに悲しくて僧侶になろうとした。しかし、母から教わった学問を生かす道に進みたいと思い直し、儒学を究めた。
その李栗谷は、5千ウォン(約500円)の紙幣の肖像画になっている。
つまり、母と息子が韓国の紙幣の肖像画を飾っているのだ。世界でも本当に珍しい例であろう。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
平昌五輪開催の江陵(カンヌン)!ここは申師任堂(シンサイムダン)の故郷