首陽大君との対決
世宗は金宗瑞を筆頭とした重臣たちを集めた。そして、彼らに後の王をしっかり補佐するように頼んだ。王からの直接の付託を受けるほど、金宗瑞は世宗から信頼を受けていたのである。
男気にまさる金宗瑞が意気に感じないわけがない。
世宗の後を継いだ5代王・文宗(ムンジョン)が即位してわずか2年あまりで亡くなったあと、文宗の幼い息子が王位に就いた。11歳の端宗である。
金宗瑞は世宗の二男である首陽大君が王位を狙ってくることをすでに読んでいた。
そこで、金宗瑞は首陽大君を初めとした王族をきびしく警戒するようになった。特に、王族に対し、理由もなく人を集めることを禁止した。これは、端宗の王位を狙った反乱を起こさせないようにするための措置であった。
この決定を受けた首陽大君は、発案者である金宗瑞に怒りをあらわにした。こうして、金宗瑞と首陽の対決は避けられなくなった。
1453年、金宗瑞は首陽大君本人の奇襲を受けて絶命した。“虎”と称されるほど勇猛だった金宗瑞もすでに還暦を過ぎていた。一方の首陽大君はこのとき36歳。年齢の差が勢いの差になってしまった。
金宗瑞が亡くなった2年後、端宗は叔父の首陽大君に王位を奪われた。金宗瑞の願いはついに叶わなかったのである。
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