康熙奉(カン・ヒボン)が語る「仁祖(インジョ)の功罪」(前編)

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16代王・仁祖(インジョ)は、王子としては綾陽君(ヌンヤングン)という名前でした。即位して亡くなった後に、「仁祖」という諡(おくりな)に追尊されたわけです。朝鮮王朝の27人いる国王の中で、諡に「祖」がついている人は、とても大きな実績があったと評価されているのですが……。

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尊称に見合う実績があったのか

果たして、仁祖の場合は「祖」という字が諡につけられるほど功績があったのでしょうか。
むしろ、失政続きで業績が悪い国王だったように感じます。




歴史的に見ると、国王の諡というのは在位時代の実績に応じた尊称になるのですが、仁祖の場合は、評価に見合っていないと疑問に感じます。
そもそも、仁祖は14代王・宣祖(ソンジョ)の孫です。
宣祖はとても子供が多くて、側室から多くの王子や王女をもうけています。(ページ2に続く)

康熙奉(カン・ヒボン)が語る「仁祖(インジョ)の功罪」(中編)

歴史解説!仁祖(インジョ)と貞明(チョンミョン)公主の確執
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